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甘え方を学ぶ読書日記1

甘えるには「男心」を学ばねばならない、ということで。
「男心を理解する」「本」で検索をかけてみる。
長く読まれる本には、時代を超えた普遍的な何かがあるはず、と思っているので、古い本を選択してみる。

「愛するということ 新訳版」 エーリッヒ・フロム著  鈴木晶訳
著者のエーリッヒ・フロム氏は1890年ドイツ生まれ。精神分析学を学び、1933年アメリカに渡り、帰化。1980年没。いわゆる「新フロイト派」の代表的な存在とされた。
この本の旧訳が日本で出版されたのは1959年。新訳は1991年に出版されている。

なによりびっくりするのは、「愛は技術である」という言葉。
「愛というのは感情ではなく、技術である」という視点は、とても新鮮。
愛することも、愛されることも、感情であり、偶然にめぐり会うものであり、ひとつの才能なのではないか。
そして自分とは縁遠いものだ、と漠然と思っていたから。
もちろん、「愛は技術」というのは、エーリッヒさんの思想なので、正解か不正解かは、議論のあるところだろうだけれど。
「愛は技術である」という言葉を知って、自分と全く縁のないことではなく、自分も頑張れば身に着けられるかも。
そんな技術が身についたら、人生豊かになる気がするなぁ、と思う。

とはいえ、技術を身に着けるのは、なかなかの覚悟が必要!
エーリッヒさん曰く、技術を習得するには。
①理論に精通すること
②習練に励むこと
そして、技術を習得することが、自分にとって究極の関心ごとにならなければならない。

ひぇ~。
愛というのは、一生をかけて学び続ける、厳しいものなのだなぁ、と思う。
信仰する宗教のない私は、「愛」というものは、とても西洋的な、キリスト教という宗教をベースにした思想だと思っている。
なので、実はあまりピンとこなかったりする。
でも漠然と、愛というのは「誰かを大事に思うこと、誰かのしあわせを願うこと」なんじゃないかな、と最近思っている。

そして、「愛は意思の行為である」ともエーリッヒさんは書いている。
誰かを大事に思う気持ちを、上手く行為で表せたらいいな、と思うから。
究極の関心ごとにできるかどうかはわからないけれど、理論を学び、習練に励みたい。
まずは、その人を知ることから。
自分自身に対する関心を超えて、相手の立場に立って、その人を見ること。
その人に関する知識に導かれなければ、配慮も責任も当てずっぽうで終わってしまうから。
そして、その人の、その人らしい成長発展を願い、尊敬の気持ちを忘れずに。
この心構えを、心に留めおいて、毎日を過ごそう。

ん?男心を学べたの?
いえ、男心を超えて、ひとの心を知る読書でした。