さわた幼稚園子育て講座子どもに伝えたい命の話~私たちは大人としてどう答えるか?~

今年はこれで3回目の子育て講座になります。
保護者の皆様,お忙しい中,本当にありがとうございます。

今回はこのタイトルの通り,命についての話をしていきます。

とは言っても…,
「命はかけがえのないものだ」
「子どもたちの命を守っていかなければ」
といったような,心情に訴えかける話ではありません。

私はそういう話をするのも聞くのも苦手です。

それは,専門的に話をしてくださる
お医者さんや助産師さんに
お任せしたいと思います。

「命について」と一言で言っても,
そこにまつわる様々な事象が世の中にはあふれています。

単純に「命は大事」だけでは済まされない出来事が,
現在も日々起こっていますよね。

皆さんは普段,このようなことについて
考えたことがあるでしょうか?

そして…
お子さんが,素朴な疑問を親御さんに投げかけ,
親御さんが答えに窮する場面がこれから出てくるかもしれません。

素朴な疑問に答えられないのは,
「チコちゃんに叱られる」ように,
私たちが日々の生活に追われ,
ボーっと生きているとまでは言いませんが,
深く考える間もなく過ごしているからでしょう。

私たち大人にもわからないことがあります。

わからないことはわからないと正直に答え,
そこから子どもたちと一緒に考える。

特に命についての問いかけに対しては,
国や文化,時代,その人が置かれている状況によって
答えは様々です。

そこには普遍的・絶対的な正解はないのかもしれません。

だから今日は,ここにお集まりの皆さんで,
お互いの考えを聞き合いながら,
一緒に考えてみたいと思います。

今日は,私が皆さんに講演をするという形ではなく,
皆さんに3~4人のグループを作っていただきます。

そして,私からいくつかの命についての問いかけをします。

それに対して,皆さんに話し合っていただきます。

そこで出された意見を全員で共有します。

私も,私個人の考えを皆さんにお伝えしたいと思います。

一つ目の問いです。


さあ,意外と難しいですよね。

この子どもからの問いかけに対して
グループ内で意見を出し合いましょう。

ありがとうございました。

では,グループで出された意見を発表していただきます。

【出された意見を抜粋】
死んだ人は,星になってお空に行くんだよ。だから空から見守ってくれているよ。
お空に行って,駆け回っている。
雲の中にいるよ。
思い出せばいつでも会える。
お別れをして,会えなくなるよ。寂しいよね。だから,死なないように気をつけようね。
天国に行く。そこには花畑がある。悪いことをしたら地獄に行く。
葬式があって,焼かれる。
死んだら何もない。「無」だよ。
何もない世界に行く。

いろいろ出ましたね~。
ありがとうございました。

私個人の考えをお話しします。

人間が死んだら,
スイッチが切れたように
目の前が真っ暗になって何も感じない。
何も考えない。

存在もなくなってしまう「無」になると,
今の私は,考えています。

そんな状態,ものすごく怖いです。

できれば,天国や地獄に行くとか,
魂はこの世をさまよっているのだとか,
そんな風に思えればよいのですが,
それは考えられません。

死ぬのは怖いです。

だから一日でも長く生きていたいと思っています。

私が,3年前に心筋梗塞で死にかけて痛感したこと。

「生きる」とは,
どんな形であれ呼吸をしているということです。

どんなに情けなくても,
どんなに辛くても,
思うように行かなくても,
息ができていれば,私はそれでいいと思っています。

「死生観」と言いますが,
様々な哲学や宗教などによって本当に千差万別な捉え方があります。

人間はそれだけ死というものを恐れ,
どう捉えたらいいのかを考えたり,
誰かの言うことにすがったりしてきたのでしょう。

では次のお題です。

これもかなり難しい問題ですよねぇ。

ダメなことはわかっているんです。
なんで?ってところがやっかいなんです。

ではまたグループ内で意見を出し合いましょう。
お願いします。

ありがとうございました。

では,グループで出された意見を発表していただきます。

【出された意見を抜粋】
あなたの周りの人が殺されたら嫌でしょ?お母さん,お父さんが殺されたら嫌でしょ?
ほかの人も同じだよ。家族が悲しむんだよ。
その人にとって大事な人を殺しちゃいけない。
家族がバラバラになっちゃう。
ダメなものはダメ!と言いたい。
自分がされて嫌なことはしてないけない。
人を殺すと罪になる。捕まっちゃう。
ケンカをしちゃだめだよね。嫌だよね。自分が嫌なことはしないほうがいい。
戦争は,国と国との戦い。個人がどうのこうのの問題じゃないから,また別かな。
自分や国を守るしかないから,「殺しなさい」と指示を受けて殺すのが戦争。だからそもそも戦争をしなければいいよね。

なるほど~。
そうですねぇ。納得のご意見です。

理屈っぽい私の意見はこうです。

死にたくない,生きていたい私は,
もちろん,殺されたくないんです。
絶対に。

国を治め,法律を作った人も,
誰でも自由に人を殺していいとなれば,
自分の命も危ういわけです。

とはいえ,
ゴルゴ13がいたら…とか,

デスノートがあれば…とか,
そんなことを考えてしまうことがある私です。

皆さんはどうですか?

戦争のことを考えると,
昔から,人は人をあまりも多く殺してきています。

自分たちの利益のために,
なわばりを守るために,
重い罪を犯してきています。

今,この瞬間にもですよね。

では次のお題です。

これは今後,起きやすい問題かもしれません。

お子さんが「死ね!」と言ったときに,
「そんなこと言っちゃだめでしょ!」と注意する。

「なんで?」と,言い返されたら…
さあ,どう答えたらいいでしょう。

ではグループ内で意見を出し合いましょう。
お願いします。

ありがとうございました。

では,グループで出された意見を発表していただきます。

【出された意見を抜粋】
「死ね」って言われて,相手が本当に死んでしまったら,どんな気持ちになるか考えてみて。
ほんとに死んじゃったらどうするの?
ほんとにそうなったら切ないでしょう?
うれしい言葉じゃない。
言葉はナイフ。言葉の暴力と一緒。
ママが言われたら傷つくな。
この言葉を言って,その人との最後の出会いなったら悲しい。
あなたが言われたら嫌でしょ?言われたらどう思う?
「どこで聞いたの?誰から言われたの?」って,逆に質問してしまいそう。

なるほど~。そうですね。

では,私の意見です。
というより,これは事実なのですが…。

子ども達は本当に軽く,
何も考えずに「死ね」って言ってるんです。

「死ね」と言われた相手がどう思うのか?
それによって自分はどんな人だと思われるのか?

そこまで思いが至らない。
想像できない。

子どもは未熟な生き物なのです。

実は脳=潜在意識は主語を区別できません。

相手に対して「死ね」と言っても,
それは自分にも言われていると勘違いしてしまうのだそうです。

誰彼構わず「死ね」と,言いまわっている子は,
何度も何度も,自分の脳に「死ね」と言い聞かせているのです。

マイナスの言葉は,脳の機能にダメージを与えます。

相手を攻撃するつもりが,
自分を殴っているようなものです。

「死ね」と言われた子が本当に死んでしまったら…。
これは極端すぎでしょうか?

では次のお題です。

日本では自殺する人が他の国に比べて多いのだそうです。

ではまたグループ内で意見を出し合いましょう。
お願いします。

ありがとうございました。

では,グループで出された意見を発表していただきます。

【出された意見を抜粋】
あなたを産むとき,ママは大変だったんだよ。大事な存在だから死なないで。
生きてるだけでいいよ。
人を殺してはいけないのと同じように,自分を殺してはいけない。
生きたくても生きれない人もいる。
あなたのことが大事で,いなくなられたら悲しい。どんなになっても生きていてほしい。
答えが出ていない。自殺をする人の気持ちに立って考えると,絶対にダメだと言い切れない。
死ぬより苦しいことも,この世にはある。そこから逃げるという意味での自殺もあるのかもしれない。
ママが悲しいからやめてね。周りの人がみんな悲しむよ。
死んだら楽しいこともできなくなっちゃうよ。ワクワクした楽しい気持ちもなくなっちゃう。

答えがなかなかでない,難しい問題ですね。

では,私の意見です。

自分の命をどうしようが,自分の勝手?
いや,そんなことはありません。

先ほども申し上げましたが,
死んでもリセットなんてできないと,
私は考えています。

だとしたら,一度きりの人生,ひとつだけの命を守るためなら,
死んでしまいたい状況から,まずは逃げます。

全力で逃げます。

逃げてでも,なんとか生き延びようとします。


確かに,一度逃げてしまうと「逃げ癖」がつきます。

ちょっとした困難に対して,
克服か?逃げるか?
という選択をするときに,
すぐに逃げてしまいがちです。

それは,子どもたちの人生において損なのですが,
でも,死ぬくらいなら,逃げて,生き延びて,次の機会を待つ。

私はそれでもいいのではないかと考えています。

私たち大人が,子どもに教えている価値。
絶対的と思っている価値。

それは本当に絶対でしょうか?

では次のお題です。

動物も命ですよね。これはどう考えればよいのでしょう?

~今回は時間が足りなくなり,話し合いはできませんでした~

人間も動物です。

他の生物を食べなければ生きていけません。

世の中には肉=動物は食べない,
卵や乳=動物性のものも食べない
という考えの方々もいらっしゃいますよね。

ベジタリアンやビーガンと名乗っています。

健康のために動物性のものを食べないだけでなく,
命の観点から,そうしている方もいます。
野菜や穀物だけを食べて生きているのです。

それは個人の自由です。

しかし,植物には命がないのか?
と言うのは嫌味でしょうか?

子どもたちにどう伝えるか?とは,
また別の話なのですが,
私たちが生きていく上で,
すべての物事は綺麗事では片付けられないですよね。

人間はそんなに立派な,きれいな生き物ではないと
私は考えているんです。

野生動物は,生きていくためなら善も悪もありません。

動物に組み込まれているプログラムは,
自分の命を守ること,子孫をできるかぎり残すこと。
これだけです。

ただし,人間には理性というものがあり,
道徳心というものがあり,
社会のルールというものがあります。

それが,ストッパーになっていて,
人間社会は野生に比べれば安全なわけです。

最後に。

繰り返しになりますが,
私たち人間はそんなに立派な生き物ではありません。

地球上の,どの生物よりも知能が発達し,
地球を支配しているように見えますが,
完璧な生き物ではありません。

未熟な私たちは,これからも,
何が善で,何が悪なのかということを常に考えたり,
話し合ったり,ルールを作ったりという
営みを続けていくことが大事なんだろうと思うのです。

子どもたちが疑問に思ったことに対して,
ときには「ダメなものはダメ!」と
バッサリ言い切る場合もアリだと思います。

ですが,子どもたちと,
「どうしてなのか?」ということを一緒に考えたり,
それぞれの意見を受け止め合ったりする。

そんな日々の営みが,
子どもたちの考える力を育てます。

考える力のある子,想像力のある子であれば,
感情のままに「死ね」などと言うことはないでしょう。

考える力のある子は,
ウケ狙いで回転寿司に多大な損害を与えるような
愚かなマネはしないはずです。

お子さんの問いかけに答えるために,
時々立ち止まって「これはなぜだろう?」と
考える時間がもてるといいですね。

かく言う私も,
このような講演をさせていただく機会を得なければ,
答えが出ない問題について考えたり,
調べたりすることはなかったかもしれません。

以上です。

皆さま,ありがとうございました。

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