Our Beloved Summer

「私が捨てられるのはあなただけ」

"その年、私たちは"6話より

"その年、私たちは"
2021年の暮れに放送された韓国ドラマだ。

高校から4年付き合って別れた2人が20代後半に再会して、2人の間の、すれ違った理由が紐解かれるという内容だ。

現時点で、6話まで視聴した。
そのため、6話までのネタバレがある。

美容室で偶然に手に取った雑誌で紹介されていたのがきっかけで、視聴している。

そもそも、ドラマはあまり見ないし、最近は映画すらあまり見ない。
韓ドラは輸入菓子のチョコレートのようにコテコテに甘ったるいと思って、なんとなく避けていた。

韓ドラあるあるの、財閥、御曹司、身分の差、記憶喪失。些細な日常を送る私にとって、それらはすごく大袈裟だ。

一方で"その年、私たちは"は、平凡な私に限りなく近い。特に、男性の主人公である、チェ・ウンだ。

主人公の女性のヨンスは貧しいけれど、度を越した貧しさではない。相対的な貧しさだ。
その貧しさから脱出する、つまり、マイナスをゼロにするために、学校でも職場でも勤勉に過ごしている。
男性の主人公ウンは、自由人だ。穏やかで面倒見の良い両親のもと、のびのび育てられた。インドアだけれど、学校などの環境における評価にとらわれない自由さを持っている。

ヨンスが勤勉で、ウンが自由な性質であるのは、家庭環境の違いからだろう。
ウンの実家の家業は順調な一方で、ヨンスは祖母しか居なく、稼いで面倒をみる必要がある。人格は環境から形成される面が大きい。

私は、性別は女だけれど、男性であるウンに自分を重ねている。家庭環境は良好で、満たされているのに、何かが欠落しているため、結果として夜に眠れないのだ。私もウンも、睡眠導入剤を使って生活している。いつも、そんなに何が不安なのだろうか?


2人の関係がうまくいっていたのは、高校時代から大学3年生くらいまでだ。私は高校でこのような青く眩しい思い出は特にないし、大学も行ったことがないので、わからない。

2人はその後、ヨンスの「私が捨てられるのはあなただけ」という台詞で別れることになる。

序盤は、ヨンスの環境や過去が明らかになっていなかったので、別れの台詞に対して、
たくさんある中から捨てても構わないのが、あなた というような意味に捉えていた。

しかし、物語が進むにつれて、ヨンスは祖母と2人暮らしで、親戚の借金を肩代わりしている、という背景が明らかになる。
つまり、私には他に何もないという告白に等しいのだ。
あなたは他にもたくさん持っているけれど、私には、他になにもない。それはヨンスのコンプレックスなのである。
6話のモノローグで、別れた理由に対してヨンスは以下のように語っている。

「2人の現実が違うから。いや私の現実が惨めだから。一緒にいて、劣等感がバレたくなかったから」


これって、恋愛に限る話なのだろうか?
恋人でなくても、一緒にいることで自分の劣等感が燻られる相手とは居たくない。Tシャツしか持っていないのに、煌びやかなパーティーには行きたくないだろう。

誰かと関わることで、自分と見比べ、自分の価値を疑問視する。その価値を自分も手に入れることができれば問題ないが、どうにも手に入れられないものはある。
そのひとつが、その人を取り巻く環境だ。

生まれた環境、生まれた環境のおかげで入れた環境。その環境のおかげで…と続いていく。
自分が手に入れられないものを持っている人間をいつまでも眺めることは辛い。
要らないと思ってたものでも、要るようなきがしてくるからだ。
だからこそ、人は似たような環境で育ち、それらから形成された似たような価値観を持つ人間といると、劣等感なんて生まれないから、安心するのだろう。

安心する、そのことがいいことだという結論に確信を持てない。
私は私が劣等感を抱く相手から逃げていいのか、わからないのだ。
近づこうとして、でも傷つくような気がして、どっちつかずになる。そして、相手の方から居なくなってくれると、心底ホッとするのだ。

私は、既知の安らげる場所だけではなく、その外の世界を冒険して、思った以上に世界は安心できるものであることを、確認したいのだ。

私はまだそれを確認できていないけれど、このドラマは何らかのヒントになる気がする。

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