見出し画像

「30くらいで死にたいな、」 14歳の私は言った

「今月/今週/明日、実は」自発的な浅ましさを自覚しながらも口にした言葉。お決まりの5文字を返さなければいけないことに気づいていながら、冬の入口でもないのに感じてしまった寂しさの成れの果て。たしかに梅雨入りした様な雨風に、肌寒さを感じてはいるけれど。

誕生日を祝ってくださった皆様、有難うございました。すこしでも存在を思い出してもらえて、メッセージを綴ったり贈り物へ時間やお金を割いていただいたこと、とても光栄に想っています。


25歳くらいから、自分の年齢を受け入れることができないまま歳をとり続けている。今年も28歳に慣れないまま29歳になってしまった。自虐的かつ恒常的に「もうBBAだね」とか言いながら、年齢を記す際は毎回新鮮に驚いてしまう。
「え、私って○歳なんだ?」

それをまた1年、29歳バージョンで繰り返すのだ。


中学生の私にとって30歳とは「全く想像のできない随分先の未来」で、丁度良い大人のイメージだった。そのくらいまで生きたらもう良いかな、一番良い時にパッと死ぬのが良いな、なんて考えていた。いざ近づいてみると、今すぐに命を捨てるイメージは持てない。特別な未練も無いけれど、格別な希死念慮も有難いことに存在しない。行きたい場所、やりたいこと、逢いたい人が列挙できる幸福。

とある映画監督さんがお誕生日の際「2で割ればまだセブンティーン!!」とツイートしていて、私はまだ14歳と半年だ、やっぱりまだ厨二なんだと可笑しくなった。


小学生の頃は親が周りより歳上であることが恥ずかしくて、自分は27歳くらいで一人目を産みたいなんて思っていた。結婚を自然現象と思っていた時期が私にもあったのだ。様子がおかしくなり始めたのは叔母の存在があったからだ。海外出張によく出ており、英語が堪能で珍しいお土産をくれる憧れの存在だった彼女はある日、自分のマンションを買って祖父母の家を出て行った。周りは「結婚できなかったからね」と言った。子供心に私は思った。仕事に生きて結婚しなかっただけかもしれないのに、出来なかったって言われちゃうんだな。とは言え彼女は性格がキツかったので、選ばなかったのか選ばれなかったのか実際の所は定かでない。書いていて改めて思うが彼女は私の未来である。ちなみに彼女と私の歳の差はちょうど27歳だ。

しないと決めている訳でもないが、したいとも思っていない。結婚と今すぐ死ぬことは似た様なものだ。人生の墓場とはこれいかに。。


「20代最後にやっておかなきゃいけないこと」なんて実はそんなに無くて、いつだってやった方が良いことをやるだけなんだと思う。「30過ぎたら人の考え方は変わらない」を持論に嫌な奴の存在をやり過ごしてきたので、心のやわらかさを忘れずに生きていきたい。ちなみに、もうひとつの持論は「30過ぎて金髪にしてるのはヤバい奴」。29歳のうちに金髪にでもしておこうかな。平和な悩みだね。


28歳になった去年はBUMP OF CHICKENのアルバム『orbital period』を聞き直した。orbital periodとは公転周期・軌道周期を意味し、28年周期で365日の全ての曜日が同じになることから着想、メンバー全員が28歳となる年にリリースされたメモリアルなアルバムだった。

今年はBase Ball Bearのアルバム『二十九歳』を聞き直す。随分歳上に思っていた年齢へ達し、改めて「かなりリアル」に迫りくる言葉を抱きしめる。

"あっという間の日々はつづく
 上手にやろうとすればするほど下手になって
 ぞっとするほど日々はつづく
 育ちや占いのせいにして正気を保ってさ
 それでも グッとくることがあったりするから
 救われるよな"
 (カナリア)


繋がり続けてくれる皆々様に愛と感謝を込めて。
また1年、お付き合いいただければ幸いです。


愛を込めた文章を書く為の活動費に充てさせていただきます。ライブや旅に行ったり、素敵な映画を観たり、美味しい珈琲豆やお菓子を買ったり。記事へのスキ(ハートマーク)はログインしなくても押せますので、そちらも是非。