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死ねなかった続きはもう余生だけど

「おめでとう」の5文字だって、その一瞬でも想ってくれたことがとても嬉しく有難い。ましてや時間を使ってくれたなら尚更。全てのお祝いに心からの愛と感謝を。

ちょうど一年前に書いたnoteには投稿直後から最近までちょくちょくリアクションを頂き、書いてみてよかったなあと思っている。

かつて死にたかった30歳、になった自覚は勿論まだ無い。牛乳だって賞味期限を過ぎた瞬間に腐る訳ではないし…。

壮大な野望は無いけれど、小さな夢なら短期間に幾つも叶えている。それは想像できることが実現できる距離感の中に存在しているからで、裏を返せば「想像の範囲内でしか描けていない」ということなのかもしれない。それでも私はこの現実にそこそこ満足している。先を見るからこそ呼吸を続けていけるけれど、遠すぎる未来は自分ごととして描くことはできないし、100歳どころか60歳の未来も今は見えていない。だからiDeCoもやらない(笑)。

二十代のうちに終えたかったこと(殆どが行ってみたい場所)についてコロナで断念せざるを得ず、リミットが無くなったからこそ、やりたい時にやりたいことをやれる大人で居たいと改めて思う。海外はしばらく行かなかったおかげで足がちょっと遠のきそうだけど、47都道府県制覇もしたいし、経験値を積んでいく人生をもう少し歩んでみたい。

"生きる意味を見つける為にまずは生きてみて、見つかったら、その為に生きればいい"
そんな支柱に縋りながら脈打ち続けた、この奇跡の軌跡に感謝を込める。この先の生命の営みをどんな風に設計し実行していくか、自分なりの答えが見つかるように探していきたい。もしかしたら永遠に見つからないかもしれないけれど、探してる間は生きていられるのだから、悲観的になりすぎなくても良いかなと思うと安堵も芽生えるというもの。

誕生日の近い知人とは星座占い上、同じ運命を辿る筈なのに、歩んできた道も今立っている場所も違う。人には人それぞれの生き方がある。誰とも被らない生き方をデザインできれば、何者にもなれなかった自分を救えるかもしれない。思う自分と思われる自分のギャップは埋まらないかもしれないけれど。

余生と言えども、まだ年金生活は出来そうにない。息を吸って吐いて働いて、をもう少し繰り返してみようと思う。いま在る繋がりが途切れることのないよう祈りながら、また一年、よろしくお願いいたします。

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