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夫、くも膜下出血のその後 Vol.2

私は夫の死も覚悟し、早々に動き出しました。

今思えば、自分史上経験がない不幸な出来事に対して、何もしないでいられなかったのだと思う。

社宅の退寮手続きを進め、それに伴って各方面に連絡を取り解約の手続きをし、夫の分の引越しもしました。
家電は引き取りにきてもらって処分。もう着ないだろうスーツやカッターシャツは最低限のみ残し、処分。

何往復もゴミ出し、掃除してないと思われる水回りも綺麗にし、大人4人で7時間くらいかかりました。
本人いないから捨てる残すの判断が難しかった。。。

当時まだ小6と中2の息子にもパパの状況をリアルに伝えてました。

次男はショックを受け、表情から笑みが消えました。
長男は搬送の場面を目撃していたので、当初から恐怖を感じていました。

3人で支え合ってできるだけそれまでと同じように暮らそう。

単身赴任4年目で、母子3人の生活に慣れていたのが幸いでした。

日中は学校と仕事。
夜は3人で過ごす。
普段の生活は意外と穏やかでした。

環境が変わらないと、気持ちも安定するんだなぁと実感しました。

ただ、夫は一生働くことは出来ない。
このままでは収入が減少して、いずれは途絶える。
生活費と医療費と住宅ローンという大きな支出が私の不安材料でした。

ここで暮らせるのか。

住宅ローンが払えなければマンションを売る必要も出てくる訳で、そうなれば生活環境が大きく変わってしまう。

医療保険や住宅ローンについて調べました。
何か公的な支援が受けられるのか、役所にも何度か相談に行きました。

担当になってくれた方は親身になって話を聞いてくれて、力になろうとしてくれました。

しかし、所得制限で何も受けられる支援はありませんでした。

これから収入が減ると分かっていても、公的支援を受けようとすると必ず確定している所得で判断されます。その時点で確定しているのは前年の所得のみ。

前年は一年間まるまる働いているので、所得が高い。その年も有休を含めると10月まで収入があるから、翌年の所得も制限を超えてしまうことになる。

となると、
就労不能の状態になってから公的支援が受けられるのはいつのことよ。約2年後ということになる。

我が家には10代前半の子どもが2人いるのに、何も支援が受けられないことに驚きました。
受けられないどころか、その高い所得なりの税金と保険料は就労不能な状態でも自動的に引かれます。

最終的には支援が受けられるにしても、一律対応しかない国の制度。
せめて自治体は柔軟に対応できないものなのか。。。

結局、現状のまま放置されていることに不満を感じます。

救われたのは、社会保険が自社の健保組合で、付加給付なるものがありました。
法定給付にプラスされ、より自己負担が減る仕組みです。

これは、健保組合によるそうです。

さらに、勧められるまま入っていた民間保険が年金型給付で、毎月定額が支払われるものでした。

医師が就労不能と証明した日まで遡ってくれ、それ以降の保障が受けられる。

行政と比較すると神対応です。

保険はもしもの時のために入るものですが、もしもの時って想像できないまま入ってる人もいるのではないかなと思います。

私がまさにそうで、身近に病気や事故で働けなくて困ったという事態が無かったので、保険料高いなぁと思いながら入っていました。

その保険のおかげで変わらない生活を送ることが出来そう。

もし、その2つがなかったら、暮らせないっつーの。

私が穏やかに過ごせることに有難いなぁと感じます。


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