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WEAKEND HEROESというバンドとの人生


出会いは、2014年。北九州、小倉WOW。
当時IZPに力を貸してもらって実現したKEEP AND WALK北九州編でした。

また結成して間もない頃で、僕は彼等の前身のバンドのことは知らなくて、ブッキングするタイミングでIZP慎太郎さんから彼等を絶対誘いたいと打診され身を委ねました。
当時の彼らは5人組。松園、濱崎、そして馬場君も高山も寺岡も在籍。超正直な話、そんなにはっきりとは覚えてないんですね(笑)。でも打ち上げが凄いって聞いていて話してみたいと思っていたのですが、この日に限って松園君は体調を崩していて打ち上げ不参加という。もうここでちょっと縁がないかもなって思ってました。

それから少しして、またIZP慎太郎さんから連絡をもらって、初めてのCDをリリースするので相談に乗ってあげて欲しいというお話を頂き、連絡を取り合うようになって、当時僕が運営させてもらっていた新宿のイベントスペースでツアーを組ませてもらったりしていた。
その頃も、どんどんいいバンドになっていっていたけど、じゃあリリースや行動を共にするのかって言われたら、そこまでピンとは来ていなかった。

そんな関係が数年続いたあと、時は2016年。翌年にリリースしたKEEP AND WALK10周年のコンピに参加してもらうことになり連絡を取り合っていたのだけど、返信があったりなかったり、他にも色々あってあまりうまくいかない感じがあった。正直、ちょっと心配だった。でもコンピにはなんとか無事に参加してもらえて、『焦燥の日々を綴る』という名曲も収録させてもらった。
今思えば、今思えばだけど、あの頃の関係があるから、今の関係性にまで発展したんだと思っています。

そして2017年春。
久しぶりに東京にライブに行きますって連絡をもらって、ライブは仕事で見れなそうだったから、アンチノックに昼間会いに行った。そこで今年アルバムを出したいと思ってます。って言われて、まぁまぁ即答でじゃあまた流通とかお手伝いさせて下さいって話をした。いつかKEEP AND WALKでリリースしてもらいたいって面と向かって何度も言ってくれていたけど、そういうテンションにはなっていなかったし、今じゃないと思っていた。
その日、いつもよりちょっとだけ仕事が早く終わった。聞いていた出番の時間中に着けそうな時間だった。普段ならもう終わっちゃうしなって思って急ぐこともあまりしないんだけど、なぜかその日は急いで行こうって思った。急いで移動して受付して中に入ったら、ちょうど『生きるという事』が始まるところだった。あの日、あの日の前後で松園に何があったのかは知らない。けど、あの日、あの瞬間に彼がステージで見せた姿とくっしゃくしゃの声と絶望の底から必死に這い上がろうとしている眼差しに、膝から崩れ落ちるほど喰らってしまった。自分でもなにが起こったのかよくわからなかった。そのままライブが終わって、楽屋に会いに行って、開口一番に彼に伝えた。『アルバムをKEEP AND WALKでリリースさせて欲しい』と。

あれから6年。
ツアーを始まる前にメンバーが抜けて、ツアーが終わったらメンバーが抜けて、大切な場所が亡くなり、彼らがここまで続けてこれたのは奇跡だと思う。だっせー瞬間もあったし、いつまでうだうだ言ってんだって瞬間も何度もあった。何度も松園と長電話した。
そして昨年、やっとの思いで『刻み、続ける』を約3年かけて形にして、KEEP AND WALK15周年コンピに収録させてもらった。それから1年。配信のみですが単独作品として解禁します。彼らの生まれ故郷。彼らの還る場所。旧・長崎studio Do!への想いを込めた曲です。
大切な大切な1曲。



様々な面を考慮して彼等は自主でリリースをしていくべきだと思っていたし、それは今も一部思っている。それでも、自分と一緒にやりたい、一緒に背負いたいと言ってくれた彼等に、自分は何を返せているのか。答えは今も見つかっていない。たぶん一生見つからない。彼らがバンドを続ける、WEAKEND HEROESを続けていく限り、できる限り寄り添い、できるこをやらせてもらいたいと思う。こんなに素晴らしい曲を作れるバンドです。皆様愛してやってください。


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