25歳~30歳の私「前編」

梅田の東通り商店街の中に「チェスター」という名前のパチンコ屋さんがありました。
今はもうなくなってますが、当時は関西に数店舗展開していたそこそこ大きいチェーン店でたまにお店にタレントさんを呼んだりしててその界隈では結構盛り上がってのを覚えてます。
そのチェスターグループが当時の流行りを1つのビルにギュッと詰め込んだビルの中の「バーレストラン」がオープンするということで私はそこでバイトを始めました。

洋風居酒屋みたいな感じの店でステージもありカラオケも楽しめ、会社帰りのサラリーマン、OLさんが訪れるそれなりの大きさがあり割と繁盛してたと思います。お店を貸し切って宴会、結婚式の二次会、出会いパーティーみたいなイベントもできるお店で毎日結構忙しかったです。
そこで私はウェイター兼バーテンみたいな事をしていたのですが微妙に自分が目指してる「将来は自分のBarを開く」というのからはちょっと違うんじゃないかと思ってました。が、そこで知り合った4つ上の先輩が北新地にあるショットバーで正社員として働くことになったという話を聞き「自分も北新地で働いてみたい!」と考えるようになりました。
当時の北新地はバブルの名残みたいなのがまだ多少あって客層もエリートサラリーマン、成金、高級クラブのホステスさんみたいな人が多く先輩が働いていた店もそういう人達が来店するお店でそういう店で働いてみたいという思いはあったのですがその店はバイトの募集をしていなかったのと自分もどうせ働くならバーテンダーとしてそれなりの知識と技術を学んでからのほうが良いと考え別のお店で2年ほど勉強して改めて北新地のBarで働こうと思いました。

他店で働いてる間も先輩が働いてるお店にはちょくちょく顔を出してたのですがある時その先輩が自分の店を出すことになったらしくその店を退店する事になりました。そこで私に「自分の店は俺と嫁でやっていく小さな店だからもしよければこの店で働いてみないか?」と打診されます。
私はよくその店に通っていたのでマスターとも知り合いだったので「ついに北新地デビューだ!」と意気込んで「是非!よろしくお願いします!」と2つ返事でその店で働くことになりました。

北新地のショットバーとはいっても待場のショットバーとやることは同じなので営業業務に関しては問題なかったのですがそこは北新地。やはり客層の違いによる接客業務の違いに最初はかなり苦労しました。
タクシーを手配したり、おつかいを頼まれたり、お客さんに無理やり酒を飲まされたりとまあかなり大変でした笑
あんまり売れてないホステスさんの相手をしたり(ホストみたいな事をw)
まあそれでも毎日大変ながらもこういう経験もいつか役に立つと思い頑張っていました。

そんな日々を過ごす中、店のオーナーであるママが(オーナーママはラウンジを経営してる方でした)自分の夢である今までにない巨大高級クラブをやるから手伝ってほしいと打診されます。
マスターは当然としてもう1人の男性スタッフも手伝うことになったとの事で私も当然手伝う事になります。
じゃあこの店はどうするのかと思っていたら「ここはガールズバーっぽいスタイルに変える」とのことで内装は変えずに店員は若い女性のみ。おそらくあわよくばその高級クラブにもホステスとして働いてくれるような子がくるかもしれないと考えていたのだと思いますが今までのスタイルから急に大幅にお店のスタイルが変わるためうまくいくのか微妙だなと思いつつもなにはともあれ私は西日本最大の高級クラブの完成と共にそちらでクラブスタッフとして働くこととなりました。


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