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古典擅釈(9) 心を知る『近世畸人伝』①

 遊女というのは農村の口減らしや親の借金のかたとして売買された、気の毒な人たちでした。
 ですが、不本意な人生であるからこそ、望ましい生き方、あるいは願わしい死に方を求める気持ちも人一倍強かったのではないでしょうか。
 ここに登場する遊女鷗洲おうしゅうの言葉にも、現代人には思いも寄らないような心情が語られており、惻々として私たちの胸に響きます。

 なお、遊女の名や男の名は『近世畸人伝』ではそれぞれ「某尼」「中京の富める人」と明らかにしていませんが、『続近世畸人伝』の附録に「鷗洲」「銭屋ぜにや清調せいちょう」と追記してあるのに従います。

 島原と言えば京都にあった遊郭街の名として有名ですが、その遊女鷗洲を銭屋清調が身請けし、とある所に住まわせていました。
 清調の母刀自とじがこのことを知り、正妻を迎える障りになるといさめましたが、清調はぐずぐずとそのままにして、日が経ちました。
 それならばと刀自は直談判に及び、鷗洲を呼び付けました。
 鷗洲は逃げ隠れすることなく、その夜、刀自と対面します。
 もと遊女であるからきっと華やいだ女であろうと刀自は想像しますが、出会ってみると、美人ではあるものの、もの静かで、身なりも地味な感じです。
 近くへ呼び話しかけましたが、鷗洲はただ黙って頭巾を取り、一巻の手紙をさし出しました。
 鷗洲は尼の姿になっていたのです。

 これを見て刀自は怒りました。
「これは私にものを言わせまいとしてしたことか。憎いことよ。尼になろうなどという殊勝な気持ちがお前にあってたまるものか」と罵ります。
 そばにいた人が「まずはその手紙を読んでから」となだめますと、刀自は落ち着きを取り戻し、手紙に手をやりました。
 そこには次のように書かれてありました。

――素性を申し上げるのも気の引けることではございますが、私の父はある尊いお方にお仕えしておりました者にございます。
 後に落ちぶれて、その日の暮らしにもこと欠くありさまとなりました。
 その上、父は重い病に冒され、薬もままならぬようになり、やむなく私は身を売って遊女となったのでございます。
 その後、両親ともに亡くなりましたので、ああ頼もしい人がいたなら、この苦界を逃れ尼となり、父母のため、自らのため、極楽往生を願って仏道に励むだろうに、と祈っておりました。
 その私の志を清調様があわれとおぼしめし、多額の金銭に換えて我が身を請け出してくださったのでございます。
 さて、早く志を遂げるべきではございましたが、人の心のはかなさ、清調様のお情けを思うとせつなく、別れることの悲しさに、今日を明日にと日を延ばし、いつしか多くの日数を重ねてしまいました。
 このような事情とはつゆ知らず、どんなにか私のことを憎んでおられようか、さだめておつらい思いをされていることと思うと‥‥。
 今宵お召しにあずかり、心を固めたのでございます。
 髪を下ろしましたのも、浮わついた気持ちからではないことをお見せするためでございます。――

 手紙に込められた鷗洲の心に、刀自もよよと泣き崩れます。
 鷗洲を辱め、罵った過ちをわび、彼女の願いに助力を申し出ます。
 鷗洲は大原の地に庵を得、そこで行い澄ますことができたのでありました。
                            〈続く〉

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