謎解き『杜子春』(1) 大人のための芥川『杜子春』と李復言『杜子春伝』
〈目次〉
1 はじめに
2 芥川『杜子春』のあらすじ
3 芥川『杜子春』の疑問点
4 李復言『杜子春伝』のあらすじ
5 二作品の設定の比較
6 老人が杜子春を援助した理由
7 鉄冠子の謎とその解明(その1)
8 鉄冠子の謎とその解明(その2)
9 大人のための小説『杜子春』
10 現代人のための小説『杜子春伝』
11 終わりに
1 はじめに
今日は、芥川龍之介の童話『杜子春』とその原作である唐代伝奇『杜子春伝』について、お話ししたいと思います。
私が初めて芥川の『杜子春』を読んだのは子供の頃ですが、結末で杜子春が馬に生まれ変わった母のもとに駆け寄り、「お母さん」と叫ぶ場面には、ひどく感動させられました。
昔は中学校の教科書に載っていて、ほとんどの学生が『杜子春』の話を知っていましたが、今の若い方はご存じないかもしれません。
とてもいいお話ですので、後でそのあらすじを少し詳し目にご紹介します。
『杜子春』の原作は中国、唐の時代の伝奇小説『杜子春伝』で、作者は李復言という人です。
これもたいへん興味深いお話ですが、たぶんご存じない方が多いことでしょう。
ですから、『杜子春伝』についても、後であらすじを少し詳しくご紹介します。
さて、芥川の『杜子春』はとてもいいお話にもかかわらず、奇妙なところ、矛盾しているようなところがたくさんあります。
童話というものは、どのお話も少々奇妙なところがあるものです。
しかし、芥川の『杜子春』には、見過ごせないような矛盾がいくつもあります。
読者が子供だからといって、侮ってはいけません。
むしろ子供にこそ、筋の通ったお話を聞かせるべきでしょう。
文豪芥川ともあろう人が、そんな矛盾だらけの童話を子供に読ませようとしたでしょうか。
そんなはずはありません。
実は、『杜子春』はある背景に気づけば、すべての疑問がスーッと氷解するような、そんなお話なのです。
子供だけではなく、大人が読んでも為になるような……、いいえ、大人こそ読むべき話ではないかと思われるほど、高級な小説になっています。
そして、原作『杜子春伝』もまた、1000年以上も昔の話でありながら、現代人に向けて書かれたかのような、すばらしいお話なのです。
この一文を通して2つの作品の魅力を知っていただくとともに、作品に向けられてきた誤解を解きたいと願っています。
2 芥川『杜子春』のあらすじ
ある春の日暮れ、杜子春という若者が唐の都洛陽の西の門の下でぼんやり佇んでいました。
彼は元は金持ちの息子でしたが、今ではその日の暮らしにも困るほどに落ちぶれていました。
寝る場所もなく、救ってくれる人もない彼は、「いっそ川に身を投げて死んでしまおうか」と考えていました。
そんな彼に、一人の老人が声をかけました。
杜子春の話を聞いてかわいそうに思った老人は、彼に黄金の埋まっている場所を教え、「夜中にそこを掘りなさい」と言いました。
老人の言葉に従って黄金を手に入れた杜子春は、一日の内に洛陽一の大金持ちになりました。
ところが、杜子春はその金を使って贅沢の限りを尽くし、三年目の春には元の一文無しに戻ってしまいました。
彼がまた洛陽の西の門の下に佇んでいると、再び例の老人が彼に声を掛けました。
そして、同じように黄金のありかを教えてくれたのです。
しかし、杜子春はまたしてもそのお金を使い尽くし、三年後には洛陽の西の門の下に佇む羽目になりました。
そこへまた老人が現れ、みたび黄金のありかを教えようとしたのです。
ところが、杜子春はその申し出を遮り、「もうお金は要りません。それよりも私はあなたの弟子になって仙術の修行がしたい」と言いました。
杜子春は、金持ちになればお世辞を言い、貧乏になれば優しい顔さえ見せない世間の人たちに愛想が尽きてしまったのです。
一夜のうちに杜子春を大金持ちにした老人は仙人に違いないから、あなたの元で学びたい、と言うのです。
杜子春の言葉を聞いた老人は、初め少し躊躇しましたが、すぐに杜子春の申し出を受け入れました。
老人は峨眉山に住む鉄冠子という仙人でした。
鉄冠子は近くに落ちていた青竹に跨ると、杜子春を乗せて、すぐさま峨眉山まで飛んで行きました。
峨眉山にある一枚岩に降り立った鉄冠子は、杜子春をそこに座らせて、次のように厳命しました。
「おれはこれから天上へ行って、西王母に会ってくる。その間、いろいろな魔物に襲われるだろうが、どんなことが起ころうとも、決して声を出すな」と。
鉄冠子が立ち去ると、天空から杜子春を脅す声が響きました。
次に虎と大蛇が現れ、杜子春を食おうとして跳びかかってきました。
また、激しい雷雨にも襲われました。
しかし、杜子春が鉄冠子の言いつけを守り黙っていると、それらは霧のように消えてしまいました。
続いて、無数の神兵を引き連れた神将が現れました。
神将は杜子春に問いかけましたが、何も答えないので、杜子春を刺し殺しました。
殺された杜子春の魂は地獄に落ち、そこで閻魔大王の尋問を受けました。
大王の問いに答えなかった杜子春は、地獄の様々な責め苦を受けました。
それでも杜子春はものを言わなかったのです。
そこで、閻魔大王は、馬となって畜生道に落ちていた杜子春の父母を鬼たちに鞭打たせ、彼に返答を迫りました。
馬となった父母が血の涙を流して嘶いても、彼は黙っていました。
しかし、その彼の耳にかすかに母の声が伝わってきました。
「お前さえ幸せになれば、私たちはどうなってもいい。大王が何と言おうとも、言いたくないことは黙っておいで……」
その声を聞いた杜子春は、鉄冠子の戒めも忘れ、母のもとに走りよると、その首を抱いて「お母さん」と一声叫んだのでした。
気がつくと、杜子春はまた洛陽の西の門の下に佇んでいました。
そばに老人もいました。
杜子春は「仙人になれませんでしたが、今はそのことがかえって嬉しい気がします」と言って、老人の手を握りました。
老人は厳かな顔になって、「もしお前が黙っていたら、即座にお前の命を絶つつもりだった」と言いました。
今後について問われた杜子春は、「何になっても人間らしい、正直な暮らしをするつもりです」と答えました。
杜子春の答えに満足した老人は、泰山の麓にある家を畑ごと杜子春に与え、彼と別れたのでした。
3 芥川『杜子春』の疑問点
芥川の『杜子春』は感動的な話ですが、同時に、奇妙な点やよくわからない点も少なくありません。
主な疑問点を挙げてみます。
① 老人はなぜ杜子春を助けたのでしょうか。
当時の洛陽には困窮した若者が大勢いたでしょう。
老人がなぜ面識のない杜子春に黄金を与えたのか、全く必然性が感じられません。
② 老人は杜子春に黄金を与えた理由を、「初めお前の顔を見た時、どこか物わかりがよさそうだったから」と述べています。
しかし、杜子春は老人から2度も黄金をもらいながら、2度とも失敗しています。
物わかりのよい若者なら、失敗に学ぶはずです。
そんな無能な若者に、なぜ老人は3度も黄金を与えようとしたのでしょうか。
老人には人を見る目がなかったのでしょうか。
③ 金持ちの息子だった杜子春が、そもそもなぜ困窮することになったのでしょうか。
その理由については何も書かれていませんが、考えてみる意味のある問題です。
④ 「大王が何と言おうと、言いたくないことは黙っておいで」という母の言葉は、子を思う愛情に溢れています。
しかし、常識的に考えれば、この母の言葉は異様です。
この時、母が子の命の身代わりになるとでもいうのであれば、まだしも理解できます。
しかし、杜子春は何のために峨眉山に座っていたのか、その理由を大王に答えればいいだけだったのです。
そんな簡単なこともしない子どものために、父母は鞭打たれねばならないのでしょうか?
子供思いの父母であっても、杜子春に怒ったり恨み言を言ったりするのが普通ではないでしょうか。
⑤ 最後の場面で老人は、「もしお前が黙っていたら、おれは即座にお前の命を絶ってしまおうと思っていたのだ」と言いました。
しかし、それならどうして初めに「決して声を出すな」と言ったのでしょうか。
これは、文学としての『杜子春』の価値に関わる重大な矛盾です。
芥川の『杜子春』の最大の問題と言ってよいかもしれません。
⑥ 老人はそもそも杜子春を仙人にするつもりがあったのでしょうか。
もしその気がなかったのなら、老人はなぜ杜子春にわざわざ無意味な試練を与えたのでしょうか。
⑦ 最後に杜子春は「人間らしい、正直な暮らしをするつもりです」と言い、老人は彼に泰山の麓の家を与えました。
杜子春の問題は、果たして解決したのでしょうか。
物語の結末として、これでいいのでしょうか。
さて、今回はここまでです。
次回、芥川『杜子春』の7つの疑問にお答えする前に、李復言の『杜子春伝』のあらすじと二作品の設定の比較について、お話しします。
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