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漢詩自作自解「湖北大送張冬晢之北京」

 私は2017年9月から湖北省武漢にある湖北大学で日本語を教えていました。
 2020年1月に一時帰国したのですが、例のパンデミックが起こり、中国への再入国がかなわなくなりました。
 その二年半ほどの間、私は大学キャンパス内にある外国人教師の宿舎に居住していたのですが、その間、心やりに漢詩を作っていました。
 今回ご紹介する詩はその最初の作品で、2018年4月に作ったものです。
 自作の漢詩といっても、実は李白の有名な詩、「黄鶴楼送孟浩然之広陵」のパロディです。
 
 私の友人に、張冬晢君(仮名)という修士課程の学生がいました。
 武漢に沙湖という小さな湖がありますが、彼はそのほとりに聳え立つ沙湖公館というマンションの28階に一人暮らししていました。

 私も何度か訪れたことがありますが、とても立派な部屋で、特に窓から見渡せる沙湖周辺の繁華な夜景はとても美しいものでした。
 張君は大学の修士課程で学んでいたのですが、北京の名門大学の博士課程への進学を志していました。
 その受験のために四月某日、武漢天河国際空港から飛び立ちました。
 私は彼を空港まで見送りに行きたかったのですが、あいにく仕事があったため、それもかないませんでした。
 彼の飛行機が飛び立つ頃、私は大学のキャンパスにいたのですが、見上げるとそこには雲一つない青空が、突き抜けるほどの深い深い青空が広がっていました。
 私は一面の青空の中に吸い込まれていく小さな飛行機の影を想像しました。
 その時、ふと李白がこの武漢の地で孟浩然を見送ったことを思い出したのです。

  黄鶴楼送孟浩然之広陵
   黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る
 
故人西辞黄鶴楼
 故人 西のかた黄鶴楼を辞し
煙花三月下揚州
 煙花三月 揚州に下る
孤帆遠影碧空尽
 孤帆の遠影 碧空に尽き
唯見長江天際流
 唯だ見る 長江の天際に流るるを


 一面に広がる青空と穏やかな春霞、そして揚州の華やかさが詩の背景に見えます。
 ですが、李白の心を占めていたのは、きっと寂寥感や喪失感であったでのしょう。
 孟浩然の乗る船の白く小さな帆影が消えてもなお長江の雄大な流れを見つめる李白の姿が、私の心にも刻まれます。

  私は張君のために、李白に倣って詩を贈ることにしました。
 それが次の詩です。
 

  湖北大送張冬晢之北京
   湖北大にて 張冬晢の北京に之くを送る
 
故人南辞沙湖楼
 故人 南のかた沙湖楼を辞し
杜鹃四月上幽州
 杜鵑四月 幽州に上る
孤機遠影碧空尽
 孤機の遠影 碧空に尽き
惟覚長風天際流
 惟だ覚ゆ 長風の天際に流るるを
 
〈口語訳〉
  湖北大学にて、張冬晢君が北京に行くのを(心の中で)見送る

わが友張君は、この南方の地にある沙湖公館に別れを告げ、
赤いツツジの咲く四月に幽州に上って行った。
私は、彼の乗る飛行機の小さな影が青空の中に吸い込まれてゆくのを心に思い浮かべた。
その先にはただ、長風が天空の果てまで吹き抜けていくのが感じられた。
 
〈語釈〉
〇沙湖楼 張君が住居とした沙湖公館のことです。
〇杜鵑 ホトトギスのことではなく、サツキツツジのことです。ちょうど赤いツツジの花が咲いていました。
〇幽州 北京は古代の行政区画の一つ「幽州」に属していました。
〇孤機 一機の飛行機。
〇長風 「遠くから吹く風」という意味の他に、「長く続く精神力や影響力」「時運に乗る風」という含意があります。
 
〈押韻〉
楼、州、流  下平声 ・十一尤
原詩と同じです。
 

 原詩をほとんど「盗作」したようなものですが、趣向は変えたつもりです。
 別れの寂しさではなく、若き学徒の未来へのエールを飛び立つ機影に込めてみました。
 「長風」、つまり張君の遠大な志が遠い未来に流れていくさまを思い描いたわけです。
 赤いツツジをとり入れた点や、古代の風景を現代の情景に写し変えたところも自分のお気に入りです。
 私の思いはきっと張君にも伝わったと信じています。


〈追記〉
因みに、私の「音羽居士」という号は張君が私に付けてくれたものです。彼によると、「音羽(yīnyŭ)」という語は中国語で読むととてもきれいに聞こえるそうです。

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