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漢詩自作自解⑥「静夜思」

 以前紹介した項閠君ですが、大学院修士課程を卒業後、三ヶ月ほど深圳で暮らし、2020年6月から宜昌市にある大学で英語の先生をしていました。
 宜昌市はあの巨大な三峡ダムのすぐ下流に位置します。
 当時、日本のネットでは、三峡ダムは明日にでも崩壊するのではないかと噂されていました。
 グーグルマップの衛星写真を見ると、肉眼でもわかる明らかな変形が何か所も確認されていたからです。
 この“事実”を一般の中国人がどれほど認識していたか、私は知りません。
 グーグルマップの衛星画像は不自然なほど歪んでいたので、私はこれはあり得ないだろうと思ったのですが、念のため長江にかかる別のダムや橋についてもグーグルマップで見てみました。
 すると、長江上流に架かる大きな橋に同じように変形した画像を見つけました。
 街の様子などを見る限り、歪んだところはなかったのに、なぜ長江のダムや橋だけ変形していたのかわかりませんが、ダムの衛星画像が当てにならないことはわかりました。

当時の衛星画像。奇妙な歪みが確認できます。現在のグーグルマップの画像に歪みはありません。

 しかし、三峡ダムが崩壊するかもしれないというのは単なる風説ではなく、中国や台湾の水利の専門家も語っていたことです。
 ダムの手抜き工事や周辺の地盤の緩さ、近年急増した大雨など、三峡ダムが抱える数多くの問題は事実でしょう。
 その頃、三峡ダムの崩壊をシミュレーションしたという動画が拡散しました。(現在もユーチューブ動画で見ることができます。)
 誰がどういう目的で作成したものなのかわかりませんが、非常に詳細なものです。
 その動画によれば、宜昌市はダム決壊後30分以内に時速70㎞、高さ20mの洪水に見舞われます。
 そうなれば、盆地のように窪まった地形の中にある宜昌市中心部の住人は逃げる間もなく水の中にさらわれてしまうことでしょう。
 ちなみに洪水が武漢に到達するのは10時間後、浸水約5mとのことで、やはり壊滅状態になります。

長江流域図

 動画の真偽はともかく、項君が宜昌に住み続けるのは危険だと思いましたが、残念ながらそれを伝えることができません。
 「三峡ダムは危険だから早く宜昌から離れろ」なんて言ったら中国の法律に触れそうですし、そのようなメールを受け取った項君にも迷惑が掛かるかもしれません。
 それとなく帰郷を促したのですが、意図が通じるはずはありませんでした。

 項君が宜昌に行ったのは教師の仕事を得ることができたからでしょうが、実は大学院博士課程への進学を志していました。
 学生に英語を教えるたわら、宜昌で孤独な受験勉強も続けていたのです。
 その時に住んでいた部屋の写真を送ってきてくれました(2020年6月23日)。
 それが次の写真です。

 一見して私は李白の「静夜思」を思い出しました。

 静夜思  李白

床前看月光
 床前 月光を看る
疑是地上霜
 疑うらくは是れ地上の霜かと
挙頭望山月
 首を挙げて山月を望み
低頭思故郷
 首を低れて故郷を思う

 私も項君のために「静夜思」を作りました。
 

 静夜思

床前看灯光
 床前しょうぜん 灯光とうこう
仿佛故郷煌
 彷彿ほうふつす 故郷こきょうきらめきを
俯首求学問
 こうべうつむけて学問がくもんもと
昂首思閨房
 こうべげて閨房けいぼうおも

 〈口語訳〉
 静夜の思い
ベッドの前に輝く電気スタンドの光を見た。
故郷の輝きが思い出された。
頭を垂れて勉学に励んでいるが、
頭を挙げて思い出すのはあの人のことだ。

〈語釈〉
〇床…寝台。
〇彷彿…ぼんやりと見える。よく似ている。
〇閨房…女性の部屋のこと。ここでは故郷で項君の帰りを待つ彼女のこと。

〈押韻〉
光・煌・房
下平声 七陽

〈対句〉
転句と結句

 原詩で、李白は頭を挙げて実景を望み、頭を垂れて内面を見つめています。
 本詩では、頭を垂れて現実に臨み、頭を挙げて内心に迫りました。
 何か手の届かないものを思って嘆く時、人は遠くを見つめるように頭を挙げるのではないでしょうか。

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