【小説】私の一部
「あは、はは、ははは!」
ざまぁ見ろだ。私は、やってやった。
飯も、服も、勉強も、挙句御果てには健康な体も与えてくれなかった。ただただ蹴られ、殴られ、罵られる毎日。その証拠の青い肌を隠す毎日。
家の中には、精肉店の十倍はする血の匂い。いや、これが生き物の匂い。大人二人分の血の量は、四畳半をほとんど染めるものらしい。
「あんな女と一緒になんなきゃ、殺されずに済んだのにね~」
赤く染まった気色の悪い頭を撫でる。この男のせいで、どれだけ痛い思いをしてきたか。
暴力なんかは別にいい。痛くて、痛くてたまらなかった。「お荷物」「邪魔者」「出来損ない」自分はこの世にいてはいけないんだと、何度も思った。自分の生存理由を問い問われ、胸が、心が、私という私が、痛くて痛くてたまらなかった。
肉が捲り上がっている喉元をもう一度、包丁で突き刺す。もう何も動きはないけれど、体内に溜まっていた血の塊がピチュッと飛び出る。
「ま、せいぜい地獄に落ちてよ」
殺される直前まで守ろうとしていた一本四万円のワインを、原型のない顔にかけてやる。私って、優しいな。
「はは、本命」
玄関に向かうように、血の跡が伸びている。思いっきり突き刺したのに、大した生命力だ。いいねいいね。
あの女にはまだ楽しませてもらわなきゃいけない。
「おお、頑張れ頑張れ」
玄関に向かってみれば、這いつくばって必死に玄関へ向かう中年女が一人。血の跡を丁寧に残しながら、恐怖を背中に纏わせている。
「言っとくけど、逃げ道ないよ?」
這いつくばる女の迎いに立ち、にこやかな笑みで教えてあげる。
「たす……けて……」
真っ赤な口で、絶望の声を出す。腹部から溢れる血を手で押さえながら、私を見つめるその女の目は、どこか懇願の匂いを思わせた。
「じゃあ、一回だけチャンスをあげる」
「え……」
「私ね、体の何処かに飴ちゃんを隠してあるの。それを見つけられたら、逃がしてあげる」
包丁を靴棚に置き、諸手を広げて女の探しやすいようにしてあげる。
「あ、あ、ああああああ」
女は、最後の力を振り絞って、足元から登るように私へしがみつく。これが火事場の馬鹿力ってやつか。
ズボンのポケットをあさり、Tシャツを捲り上げ、ひいては口の中までこじ開けて、必死に私の体を触りたくる。
「はは、まだ見つかんないの? 早く見つけなよ。早く早く」
「ああああああ」
「早くしなよ。早く早く」
まだ? 早くしなよ。
はやく。
はーやーくー……
「ねぇえお母さぁん、全然見つかんないー!」
「ちゃんと探してないからでしょ。絶対私の体にあるから、ほら」
「えー」
ジーンズのポケットも、パーカーのポケットもちゃんと見た。飴なんか絶対ない。ちーの大好きな、アンパンマンのブドウ味が見つかんない。
「お母さん、嘘つきだ!」
「え?」
「ちゃんと探したのに、飴ないもん!」
「ちゃんとあるって」
「嘘つきだ嘘つきだ嘘つきだ嘘つきだぁ」
「もう、わかったわかった。じゃあ、特別に教えてあげる」
お母さんはそう言うと、ちーに優しい笑顔をみせて私のコートのポケットから手品みたいにパッと飴を取り出した。
「ね、あったでしょ」
「やっぱり嘘つきじゃん! お母さんのところになかった!」
ちーは名一杯、顔のお餅を膨らませてやる。けど、お母さんはなんだか笑顔になって
「嘘じゃないよ。ちーは、私の中から生まれてきたの。だから、私の一部なの」
私をぎゅっと、抱きしめた。
「な……い……」
散々人の体をあさり、やっと出てきた言葉がこれだ。
「嘘………つくな……」
怒り表情を纏わせて私の体に癒着する。
その怒りは、私の抱いた駄々とは違う。ただ、ただ、殺人者に対して向ける恐怖と懇願の怒りであった。
もう、十分だな。
「嘘なんてついてないよ?」
「は……」
「じゃあね」
やっぱり、人を殺すなら咽だ。
怒りの表情を浮かべた女は、その表情を変えずに血を噴き出しながら玄関前に倒れた。
「できることなら、私の全部になって欲しかったな……」
母のポケットから出した飴は、なんだかしょっぱかった。
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