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私は失敗作

本当に、懐かしい話だ。

一番最初にカレンダーを見上げていた事は覚えている。私が幼少期に見た最初の光景だ。

幼い子供たちと一緒に小さな箱庭を笑顔で走り回っていた。

草と土の香りはもう思い出せないが、隣にいた子の無邪気さを、失いたくはなかった。

誰かに恋をする、という経験もこの頃が初めてだっただろうか。

いつだって誰かとくだらない事で口喧嘩をして先生を困らせていた。

昼食は食べずに外へ抜け出そうとしては捕まって、昼寝の時間は寝ずに子供たちの作品(レゴブロック)を先生と壊して回っていた。

まだ純粋な魂だった時の話だ。

私の魂が穢れていったのは小学生になった時からだと思う。

他の子供たちとはズレているという理由で(親からは自主的に行ったと言われたが信じてはいない)ズレた子供たちに混じって勉強をしていた。

入学したての頃は自分のことを本当の天才だと思っていた。今考えれば、この経験が私を穢したのかもしれない。

なにかに躓いたことのなかった私は可能性の階段を登り続けた。完璧な人間になれると疑っていなかったからだ。

しかしそれは間違いだった。

入学してから三年目にして、見事なまでに高く積み上がった傲慢の塔は崩れ落ちた。

私は努力の意味を理解することが出来なかった。一般的な人間に比べて何かを噛み砕く能力が欠けていたのだ。

小さな小石に躓いたままの私は、その小石の大きさを理解出来ないまま恐れだけが膨らんでしまった。

私は見事な失敗作になってしまった。

目の前にあるはずの成功体験にすら気づけなくなってしまった。私は盲目な少年(不定形な粘液)になった気分だった。

狭い放送室で勉強に明け暮れていた頃を思い出す。不透明な音が、耳の中をすり抜けてどこかへ消えてしまうことに不快感を持っていた。

「無理なことは無理だ」
「努力したって叶わぬことは叶わぬ」
「死んでしまいたい」

入学して四年目で世界に絶望してしまった。

この頃の私は■■■という抜け殻だった。
勉強から逃げ出してしまった。

先生方の懸命な説得に対しても、努力というものへの疑問をぶつけて呆れられてしまっていた。
端的に言えば見捨てられた、と言えば伝わるだろうか。

しかし悔しいことに死ぬ勇気すら持ち合わせていなかった。本当に悔しい。

「死にたければ死ねばいいんだ」

私の無作法で不道徳な行いが極まった時に、先生に言われた言葉だ。反論する気力すらなかった。

時間の流れが穏やかにゆっくりと流れることに恨みを抱いていた。大人になりたくなかったというのに矛盾している。

家の中にも居場所がなかった。
私は何かと理由をつけて登校することを拒んだが、その度に暴力的な言葉と拳に怯えた(その頃の私にはどんな言葉だって優しさだって暴力になり得たが)

ある先生からは逆ナルシズムや傲慢さを説明されたが、私には理解することが出来なかった。

勿論いい事が無かった、と言えば嘘になる。
ただしそれは、ほんの僅かなものだった。
"与えられた幸福は倍の不幸になる"というジンクスはこの頃に考えた。

クラスメイトからも腫れ物扱いで、無邪気な悪意に襲われる事は度々あったが、努力に対する嫌悪感に比べれば耐えられない(嘘だ)という事はなかった。

ただ、この生活の中で多くのことを理解することが出来た。

上を見る人間は下の人間を理解なんて出来ないこと。

努力が可能とする現実には限界があること。

私には生きるに値する価値が無かったということ。

最低限の機能しか与えられなかった、なんの取り柄もない中途半端で不出来な人間の物語。

実の所私以外に、私よりも不出来だと思える人間に出会ったことがない。つまりその他大勢の少年少女の抱える不幸なんて抱きしめて愛せてしまう、と思えるものだった。

彼らには長所と短所があった。
私には存在しないものだった。
何度も聞いてみたことはあるが、どれも困った顔をされるだけで実際に返事が来たことはなかった。

私は入学六年目にして、死体と変わらない程落ちぶれてしまった(この場合は本質が見えたと言ってもいいかもしれない)

「何故生きているんだ?」
「お前は生かされているんだよ」
「誰に?」
「お前が憎んでいる奴らにさ」
「そりゃそうか」

私は生きることも死ぬことも諦めている。
ただ三十歳になるまでには死にたい。

誰からも愛されることもなく。
存在そのものを抹消されたい。

「なりたいものはないの?」
この質問に対する答えを見つけられていない。

生まれた時から粗雑な魂を抱えて生きている。
強烈な不快感と嫌悪感に揺られている。
現在二十二歳の私は、人間の事が大嫌いになってしまった。愛してるつもりなのに。

何も考えたくない。

私は失敗作。

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