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とんで沖縄

その頃の母はかなりテンション高く活動的だった。
父とあまりコミュニケーションが取れない中、同年代の人間との関わり合いを求めていたのかもしれない。

ある時、公園の芝生でのんびりしているときに
母はニコニコしながら私に聞いた。
「お父さんとナベちゃん、どっちが好き?」
私は、父のことももちろん好きだが、その時たくさん遊んで貰っていてナベちゃんブームだったので、特に深く考えず
「ナベちゃん!」
と元気に答えた。

それから少し経って、私と妹、母、ナベちゃんの4人で沖縄に行くことになった。
遊びに行くの?住むのよ!
引っ越すの?少しの間よ!
幼稚園は?休むわよ!
お父さんは?忙しいから来ないのよ!
イェーイ!沖縄沖縄〜!パイナップル!黒糖!

と、なんだかよく分からないまま、父とはほぼ顔を合わせないうちに、あれよあれよと私たちは大きなフェリーに乗り込んだ。
船の中は常にプールの更衣室みたいに湿っぽく、たくさんの人がごろ寝したり座ったりしていた。丸い窓の縁には塩がこびりついていて、触るとじゃりっとして気持ち悪い。触れないように注意しつつ、その窓から白い空と黒い海を4日間眺め続け、ついには沖縄へ降り立った。
あの時の母のテンションは一体なんだったんだろう?
ブッチギレてるよね。

私は、お父さんも来たら良かったのになと思ったけど、これから始まるナベちゃんとの沖縄ライフもとても楽しみだった。

まず向かったのは「ナベちゃんの友達のネパール人」の家だった。

那覇市からは離れた、海と家と商店しか無い長閑な村で、
ネパール人のおじさんは日本人の奥さんと
木でできた、白くて高床式の大きなおうちに住んでいて、優しかった。
ナベちゃんはあとで「でもネパール人マジすぐ嘘つくから注意w」と言っていた。謎の交友関係。

そこでどう話をつけたのか、近所の空き家を無料で貸してもらえる事になった。

その家は、木造の古い平屋建てで、裏庭の端に立ち並ぶアダンの木をくぐりぬけるとプライベートビーチに出られる海のすぐ側の家だった。
作りは2DKくらいだったかな?
キッチンは土間で、トイレは外の別棟になっていた気がする。

私たちはその日からそこに住み着いた。

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