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社会問題に対する態度
社会問題を直接解決することは、私にはほとんどできない。
しかし、社会問題を解決する人を応援することは、私にもできる。
その機会に恵まれていることに感謝しよう。
話で混乱したら(話の3要素)
人と話したり、人の話を聞いたり読んだりしていて、
混乱した(何を大事にして考えれば良いのかがわからなくなった)ら、
以下の3つの要素を確かめてみると良い。
・話の構図(誰が、誰と、何について話しているのか)
・話の目的(話が終わった後の成り行きとして期待されていることは何か)
・用語の定義(話に用いられている言葉の意味について、共通の理解がなされているか)
"それ"であると同時に"それ以外"
個々人の体験は局所的であるので、
人生/世界は常に、"それ"であると同時に"それ以外"である
運命論(因果律)の再評価と、有用論の着想
・運命論(因果律)は、常に役に立つ訳ではないが、ポケットに忍ばせておく価値はある
・自己批判は、その目的が自己肯定にある場合にのみ、有用である
人間は全てをコントロールすることはできない
人間は全てをコントロールすることはできない。
(個人としても、集団としても)
ゆえに、たとえ一部でもコントロールできている時点で、
それは既に大変に上出来なことなのである。
空虚であるゆえに
私は空虚であるゆえに、
私の行為に主体性はない
(ので安心せよ)
メモ:ゼロでもマイナスよりはずっとまし
たとえ空虚(ゼロ)であっても、
「どうして自分なんか生まれてきてしまったのだろう」
と言う気持ち(マイナス)よりは、
ずっとましであり、有難いことである。
忙しいうちは
忙しいうちは、
「これが終わって、もっと時間がたっぷりあって、落ち着いたら、何かが自分の内側に見つけられるんじゃないか」
と思うもの。
でも、いざ休みの日が始まって数時間もしないうちに、そんなものは幻想に過ぎないことが分かる。
落ち着いた自分の内側に見出せるのは、ただの空虚である。
何かがあればいいのに。
「それで満足か?」を自分に問い続けることによって
今まで自分の犯してきたあらゆるウソ、あらゆるムダ、あらゆる恥、あらゆる非礼について、(大抵の場合)実は自分は満足しているのだ、ということが分かるのである。
何故ならば、もし仮に満足していないのならば、この身体は既に変化を求めて動き出しているはずだが、実際には動き出していないからである。
(但し、そうでない場合もある)
蒟蒻畑は食べ過ぎないこと
メモ:「生きている世界が違う」のではなくて、「生きているレベルが違う」のだ
ふと、久々に思い出した感覚があるので、メモしておく。
以前は、自分から遠くに見える人たち(例えば芸能人とか、頭のいい人たちとか、何となく"一流"みたいに見える人たちなど)と自分とは、「生きている世界が違う」のだと思っていた。
でも、実際に色々な場所に出掛けてみたら、実はどうも違ったのだ。
意外とみんな同じような場所(土地)を歩いているし、同じようなものを食べて、同じような道具を使って、同じよう