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社会問題に対する態度

社会問題を直接解決することは、私にはほとんどできない。 しかし、社会問題を解決する人を応援することは、私にもできる。 その機会に恵まれていることに感謝しよう。

kebutazaru
2か月前

話で混乱したら(話の3要素)

人と話したり、人の話を聞いたり読んだりしていて、 混乱した(何を大事にして考えれば良いのかがわからなくなった)ら、 以下の3つの要素を確かめてみると良い。 ・話の…

kebutazaru
5か月前

"それ"であると同時に"それ以外"

個々人の体験は局所的であるので、 人生/世界は常に、"それ"であると同時に"それ以外"である

kebutazaru
1年前

運命論(因果律)の再評価と、有用論の着想

・運命論(因果律)は、常に役に立つ訳ではないが、ポケットに忍ばせておく価値はある ・自己批判は、その目的が自己肯定にある場合にのみ、有用である

kebutazaru
1年前

人間は全てをコントロールすることはできない

人間は全てをコントロールすることはできない。 (個人としても、集団としても) ゆえに、たとえ一部でもコントロールできている時点で、 それは既に大変に上出来なことな…

kebutazaru
2年前

空虚であるゆえに

私は空虚であるゆえに、 私の行為に主体性はない (ので安心せよ)

kebutazaru
2年前

メモ:ゼロでもマイナスよりはずっとまし

たとえ空虚(ゼロ)であっても、 「どうして自分なんか生まれてきてしまったのだろう」 と言う気持ち(マイナス)よりは、 ずっとましであり、有難いことである。

kebutazaru
2年前

忙しいうちは

忙しいうちは、 「これが終わって、もっと時間がたっぷりあって、落ち着いたら、何かが自分の内側に見つけられるんじゃないか」 と思うもの。 でも、いざ休みの日が始まっ…

kebutazaru
2年前

「それで満足か?」を自分に問い続けることによって

今まで自分の犯してきたあらゆるウソ、あらゆるムダ、あらゆる恥、あらゆる非礼について、(大抵の場合)実は自分は満足しているのだ、ということが分かるのである。 何故…

kebutazaru
2年前

蒟蒻畑は食べ過ぎないこと

kebutazaru
2年前

メモ:「生きている世界が違う」のではなくて、「生きているレベルが違う」のだ

ふと、久々に思い出した感覚があるので、メモしておく。 以前は、自分から遠くに見える人たち(例えば芸能人とか、頭のいい人たちとか、何となく"一流"みたいに見える人た…

kebutazaru
2年前
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社会問題に対する態度

社会問題を直接解決することは、私にはほとんどできない。
しかし、社会問題を解決する人を応援することは、私にもできる。
その機会に恵まれていることに感謝しよう。

話で混乱したら(話の3要素)

人と話したり、人の話を聞いたり読んだりしていて、
混乱した(何を大事にして考えれば良いのかがわからなくなった)ら、
以下の3つの要素を確かめてみると良い。

・話の構図(誰が、誰と、何について話しているのか)
・話の目的(話が終わった後の成り行きとして期待されていることは何か)
・用語の定義(話に用いられている言葉の意味について、共通の理解がなされているか)

"それ"であると同時に"それ以外"

個々人の体験は局所的であるので、
人生/世界は常に、"それ"であると同時に"それ以外"である

運命論(因果律)の再評価と、有用論の着想

・運命論(因果律)は、常に役に立つ訳ではないが、ポケットに忍ばせておく価値はある
・自己批判は、その目的が自己肯定にある場合にのみ、有用である

人間は全てをコントロールすることはできない

人間は全てをコントロールすることはできない。
(個人としても、集団としても)

ゆえに、たとえ一部でもコントロールできている時点で、
それは既に大変に上出来なことなのである。

空虚であるゆえに

私は空虚であるゆえに、
私の行為に主体性はない
(ので安心せよ)

メモ:ゼロでもマイナスよりはずっとまし

たとえ空虚(ゼロ)であっても、
「どうして自分なんか生まれてきてしまったのだろう」
と言う気持ち(マイナス)よりは、
ずっとましであり、有難いことである。

忙しいうちは

忙しいうちは、
「これが終わって、もっと時間がたっぷりあって、落ち着いたら、何かが自分の内側に見つけられるんじゃないか」
と思うもの。

でも、いざ休みの日が始まって数時間もしないうちに、そんなものは幻想に過ぎないことが分かる。
落ち着いた自分の内側に見出せるのは、ただの空虚である。

何かがあればいいのに。

「それで満足か?」を自分に問い続けることによって

今まで自分の犯してきたあらゆるウソ、あらゆるムダ、あらゆる恥、あらゆる非礼について、(大抵の場合)実は自分は満足しているのだ、ということが分かるのである。

何故ならば、もし仮に満足していないのならば、この身体は既に変化を求めて動き出しているはずだが、実際には動き出していないからである。

(但し、そうでない場合もある)

蒟蒻畑は食べ過ぎないこと

メモ:「生きている世界が違う」のではなくて、「生きているレベルが違う」のだ

ふと、久々に思い出した感覚があるので、メモしておく。

以前は、自分から遠くに見える人たち(例えば芸能人とか、頭のいい人たちとか、何となく"一流"みたいに見える人たちなど)と自分とは、「生きている世界が違う」のだと思っていた。
でも、実際に色々な場所に出掛けてみたら、実はどうも違ったのだ。

意外とみんな同じような場所(土地)を歩いているし、同じようなものを食べて、同じような道具を使って、同じよう

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