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それは、新しい山を登るために ー中居正広さんの会見を見て

2020年2月21日18時半を過ぎた頃、キー局の夕方のニュース番組は一斉に中居正広さんの「ジャニーズ事務所退所会見」を放送した。
当日の16時頃から約2時間にも及んだというその会見の全てを生中継した局は一社もなく、また私の知る限り、全編ノーカットでの放送も一切ない。
いくつかのウェブ媒体が「全文掲載」をしているが、読み比べてみるとそれぞれ微妙な違いがある。
そういうわけで、私が得た「会見」の情報は必ずしも全貌ではない。それでもこの「会見」とそれと前後して起こった出来事を見てわかったことがいくつかある。

その一つは、「会見」の質疑応答に浮かびあがる「業界ルール」の非常識さだ。
「会見」を紹介する番組のほとんどで取り上げられた「(先に独立した)3人との共演の可能性」を尋ねる質問に対して、中居さんは「1人で決められることではない」とした上で、「非常識を常識化するには、やっぱり長い間やっていかないと無理なところ、ありますから。もちろん3人と共演する可能性は0%と100%の間ではなく、1%と99%の間にあるのは間違いないと思います。」と答えている。
ここでは3人との共演は「非常識を常識化すること」の文脈に位置付けられていることがわかる。

言うまでもなく、ジャニーズ事務所からの独立発表というタイミングでなされたこの質問は、暗黙のうちに
「これまでは事務所に在籍していたので実現できなかったが、退所すればその縛りがなくなる可能性がある」ということを前提としている。

そして、その前提があるからこそ、本当ならここでされて良いはずの、もう一つの可能性についての質問は最後まで出てこなかった。
それは、事務所に留まるもう一人のメンバー、木村拓哉さんとの共演である。

“ジャニーズ事務所を辞めたタレントと事務所所属タレントの共演は許されない。そして、ジャニーズ事務所を辞めた、かつて同じグループ所属のタレント同士の共演は「非常識」と呼べるようなレアケースである”
報道陣と中居さんの間の質疑は、これまで多くの視聴者が恐らくそうに違いないと想像していたこの暗黙の「ルール」の存在を可視化した。

この当然のこととして語られる「ルール」は、例えば独立後の4月以降も、中居さんのレギュラー番組が続くことについての質問にも表れている。
「普通だと退所されるとその番組が終了することが多いので、ちょっと異例かなと感じました。」

しかも、この「異例さ」は会見においても、会見について報じる番組でも「円満退所」や事務所の恩情と結び付けられている。
そこでは、そもそも「普通」とされている「ルール」自体のおかしさが指摘されることはない。

もう一つわかったこと。
それは、SMAPの「解散騒動」の経緯について、これまでまことしやかに喧伝されていたことが真実ではなかったということだ。

2016年1月の騒動は、SMAP5人が事務所からの独立を企てているというスクープから始まった。
当時の報道のほとんどが、その企てが頓挫したため5人は事務所に残留することになったというもので、その残留を許す代わりになされたのが、あの1月18日のSMAP×SMAP生放送での「謝罪」だとされてきた。

しかし、今回の会見で中居さんはこれに対し、
「なんの記事に載ってるかわからないんですけど、そういうのなかったと思います。もっと若い20代だったときとかに、そんな雑談で話したことあるけど、本格的に5人で出ようとか話したことないです。」と答えている。
それでは、あの日彼らはいったい何を謝罪させられたのか。
彼らのキャリアに少なからぬ傷を与えた、あの「生謝罪」の根拠が崩れているにもかかわらず、その点を追及する記者はいない。

さらに、「円満退所」で何の問題もないはずのこの「会見」が、
公式な事前告知もなく、最近の重要な会見の通例である生中継がされなかったこと、
「会見」について報じる番組で、公式コメントでは事務所もその功績を認めているはずの、SMAPとしてメンバーとともにパフォーマンスする映像ではなく、明らかに不自然に中居さんのみをトリミングしたものを使用していること、
会見場所を提供した格好のテレビ朝日系列のインターネットテレビであるAbemaTV『Abema Prime』での動画配信が許可されなかったこと、
つまりは、事務所にとってはイメージアップにもつながるはずのこの「会見」で、できるだけ多くの視聴者の目に届けることとは真逆の、ある種の「メディアコントロール」が行われていた不可解さ。

「会見」の内容からして、中居さんが自ら生中継を避けるわけはなく、テレビ局もこれほど話題になるニュースを流したくないわけがない。
実際に、SNSでの噂レベルだったにもかかわらず、会見会場となったテレビ朝日の夕方からの視聴率上昇など、数字データを見る限り、事前の告知があれば更なる上昇が期待できたはずで、テレビ局も当然それを考えただろう。

独立を前に、この会見での実績は今後の中居さんの活動を左右する重要な機会だったはずだが、それを妨げたものは何だったのか。
この疑問を追及する声も、今のところ芸能界の中では聞くことがない。

このように、今回の「会見」では芸能界で「常識」とされているものが、多々浮き彫りになっている。
しかし問題は、それが一般社会の「非常識」だということだ。
例えば、昨年出された公正取引委員会による芸能事務所の問題行為禁止の指針は、もはや芸能界さえも、一般社会の「常識」のモノサシで測られることから逃れられないことを意味している。

そう考えると、会見で中居さんが「SMAP」を連呼できたのは良かった。
もしも、退所後にそれを口にできなかった時の違いが明確になるだろう。
私たちは、独立後の彼の境遇をやっぱり注視していかなければならない。

彼が生中継で何を言うのかを恐れ、
彼の会見を見た視聴者が何を感じるのかを恐れて、
先んじて「円満退所」の印象を強調したかったのは誰だろうか。

古の人が言う通り、恐れを締め出すのが愛だとしたら、
その誰かは彼のことも視聴者のことも愛していないし、信頼していない。
だから恐れに囚われて必要のない策を講じる。
しかしその策から、隠したはずの真実が零れ落ちる。
それは、どのような時もテレビの前の受け取り手を信頼して委ねる彼らとは、とことん逆の在り方だ。


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紛れもなく3年という月日は、あの時叶わなかった、中居さんが「自分の言葉で語ること」を可能にする環境を作るために必要だった。
この3年で芸能人の独立を巡る状況は大きく変わりつつある。
それには、先に独立した彼の盟友たちの活躍とそれを支えた多くの声の力があったことは間違いない。

同時に、あの「会見」からは
30年もの間、仲間たちと登ってきた、登り続けるつもりだった「山」を失ったことに対する彼の痛みの大きさと、
その痛みを彼自身が受け入れて、もう一度立ち上がり、一歩前に足を進めるために、どうしてもその3年が必要だったのだと思い知らされた。

どんなに戻りたくても、留まっていたくても時間は前にしか進まない。1%~99%のあらゆる可能性は、一歩前に進んだ未来にしかない。
彼はそのことを肚の底に落とすまで3年をかけた。
そして、今彼の時は再び動き出す。まだ見ぬ登るべき山に向かって。

会見の中で彼は度々、これからの彼が「ひとり」であることを強調した。
それは彼の覚悟だと思う。
その宣言どおり、新たな環境だからこそ見つけることができるはずの新しい山を、彼はきっとひとりで登ることだろう。

ただその時、
同じ山をそれぞれ別のルートから、頂を目指してアタックするクライマーたちが他にいないなどと、どうして断言できるだろうか。
彼が登るその山の頂を同じように目指す、4人あるいは5人のクライマーたちがいないなどと、いったい誰が、どうして断言できることだろう。


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