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13〜15歳の頃、新聞配達をやっていた話

noteの企画で、「はじめての仕事」というタグがあったので思い出して書きます。



【きっかけ】

中学1年生の時にソフトテニス部に入ったんだけど、顧問の先生が気持ち悪い&1年生はボール拾いと素振りのみ&素行不良で退部した先輩が「このテニス部をぶっ潰してやるよ」とか物騒なことを言って不穏な日々だったので、3月に退部した。

そして中2の1996年4月、部活がなくなったことで空いた夕方の時間を有効活用すべく、親に「何かバイトをしたい」と申し出て、近所で新聞配達(夕刊)をすることにした。




【仕事内容&人間関係】

月曜〜土曜の17時〜18時くらいまで。家から徒歩5分くらいの新聞屋さんに行って、仕分けの終わった夕刊を自転車に載せて配達に向かう。最初の2日間は新聞屋のおじさんと一緒に大きめの暗記カードみたいな順路帳を片手に研修のようなものがあり、3日目からは1人でやった。

真夏や真冬や悪天候の日もやるので大変っちゃ大変だけど、まあ1時間だし、辛い仕事では無かった。でも新聞配達してる姿を、近所に住んでる同級生の女子に見られるのは恥ずかしかったな。(自意識過剰なので、「ケアムーラ君、新聞配達やってるんだね」と学校で話しかけられた日には、ウワー!と叫び出して教室の窓から飛び降りそうになった)

全部配り終えたと思ったら一部余ったり(1軒配りモレ)、全部配り終えたと思ったら一部足りなかったり(1軒に2部入れるミス)というミスはたまにあった。新聞屋のおじさんに正直に申告したら怒られるだろうけど、隠して、後から「夕刊が入ってない」とかクレームの電話が来て発覚したらそっちの方が怒られるなあ、仕方ない、正直に言うか・・・と、戦略的正直さを学んだ。 

ベタだけど犬が狂ったように吠えてくる家もあって、そこのポストへはビクビクしながら新聞を投げ込んだ。勝手に「狂犬病の犬を飼っている家」と名前を付けていた。

その新聞配達店で、未成年で働いてるのは自分1人だった。浪人生の男はいたけど、特に会話は無し。おばさん達は優しかった・・・といった記憶も無い。新聞を受け取ったらすぐ出発して配り終わったらすぐ帰っていた。おばさん達は配り終わった後で、事務所に置いてあるウォーターサーバーみたいなやつで冷たいお茶を飲んでトークしていたけど、俺は自意識過剰だったから、その井戸端会議の近くを通ってウォーターサーバーからお茶を汲むということが一度も出来なかった。




【給料&何に使ったか】

1ヶ月の給料は約3万円弱、時給換算で1000円くらい。雨の日はプラス200円、台風の日はプラス2000円。自分の誕生日は終わった後でホールケーキを貰えた。あと、自分が生まれた日の新聞のコピーをくれたんだけど、感動かと思いきや、アダルトビデオの違法コピーがなんたらっていう記事が一面で、「俺はなんて日に生まれたんだ!」とショックを受けた。

中2の4月から中3の12月まで働いて、5万円くらいのMDデッキを買った以外は何も使わず、約50万円くらい貯まった。これは高校生になって入った部活の費用で全て使い切った。登山部は初期費用や月々の遠征費等、とにかく金がかかる・・・

思えばその後、浪人生の時に貯めたバイト代で大学進学後の一人暮らしの初期費用を払ったり、社会人新卒就職後の5年で貯めた貯金を使ってその後の転職低賃金時代を乗り切ったりと、うまくやりくりしているという綱渡りというか・・・
  



【思い出】

でもその新聞配達で貯まった給料よりも、退職する日に新聞屋さんからもらった腕時計の方が思い出深い。雨の日も風の日も台風の日も、日曜以外は毎日働いていたことの勲章のようなものだ。

「贈」って彫ってある。自意識過剰ゆえに、その後カッターでこの「贈」というところを削ろうとしたけど削れなかった。


この腕時計はその後30歳前くらいまでずっと使っていて、今でも大事に職場に置いてある。

(自宅よりも職場の方がセキュリティが高いので、俺は実印すら職場に保管している)




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