毎日を尊いものと思いながら生きていく
「良いことは続かないが悪いことは続く」
前の投稿で、この言葉が僕の負の感情を緩和してくれていると書いた。
悪いことや辛いことがあっても、「まあ人生ってそんなもんだよな」と思わせてくれて気持ちがちょっと楽になる。
悪いことは続き、良いことは続かない。
実際にそう思う。
決して思い違いではない。
世の中はそういう風にできている。
でも、良いことと悪いことの確率は半分半分のはず。
なのに悪いことばっかで良いことは全然ない。
これはおかしくないか?
うんおかしい。
思い違いじゃないのなら、何かしらの理由があるはず。
僕は以前、この理由について考え、ある答えに辿り着いた。
悪いことは続き、良いことは続かない理由。
まず、良いこととは何かというところから始まる。
例えば、頑張って勉強して志望校に合格したとする。
これは良いことか?
僕は違うと思う。
時間と身を削って勉強したという背景があるから、受験に合格したことは良いこととは言えない。
努力に対する当然の対価だ。
なので、良くも悪くもない当たり前のことなのである。
何も勉強していないのにたまたま志望校にいけた。
これはめっちゃ良いこと。
奇跡に近いぐらいの運を使っている。
このように、何か偶発的なことが絡まない限り、良いことは発生しないのだ。
一方で、頑張って勉強したのに志望校に落ちてしまったとする。
これは悪いことになる。
時間と身を削ったのにも関わらず、対価が得られてないのだから。
そして、何も勉強してなくて志望校に行けなかったとする。
これは当然のこと。
良くも悪くもない、当たり前のことだ。
これらをわかりやすいように下にまとめてみた。
頑張って勉強して志望校に合格した
→ 当然のこと
何も勉強していないのに志望校に受かった
→ 良いこと
頑張って勉強したのに志望校に落ちた
→ 悪いこと
何も勉強していなくて志望校に落ちた
→ 当然のこと
何か気付きませんか?
良いことは奇跡に近い確率なのに、悪いことはまあまあ起こりそうじゃないですか?
僕の感覚でいくと、
頑張って勉強して志望校に合格した
→ 当然のこと ☆90%
何も勉強していないのに志望校に受かった
→ 良いこと ☆0.1%
頑張って勉強したのに志望校に落ちた
→ 悪いこと ☆10%
何も勉強していなくて志望校に落ちた
→ 当然のこと ☆99.9%
ぐらいの確率だと思う。
良いことと悪いことの確率が釣り合ってなさすぎる。
悪いことが10%で起こるのに対して良いことは0.1%だと?
そりゃ悪いことは続いて良いことは続かないはず。
なんて世知辛いんだ世の中は。
生きるのってこんなに効率悪いんだ。
「いやいや、頑張って勉強する過程をもっと増やせよ。志望校に合格する確率が90%だから落ちる確率も10%なんだろ?
合格する確率を99.9%まで上げたら落ちる確率も0.1%になって、必然的に悪いことが起きる確率も減るだろ?結局はお前の頑張り次第だろ」
どこからか嫌な声が聞こえてきたので反論させていただく。
そりゃめちゃくちゃ頑張ったら合格する確率を99.9%にできなくもないと思う。
だが、めちゃくちゃ頑張らなければ良いことと悪いことが釣り合わない世の中はおかしいと思う。
ただ何もせず生きているだけでは、悪いことの方が圧倒的に起きやすいということが問題なのだ。
これはもちろん他のことでも言える。
働いた分の給料がもらえる
→ 当然のこと ☆99.99%
働いてないのに給料がもらえる
→ 良いこと ☆0.00001%
働いた分の給料がもらえない
→ 悪いこと ☆0.01%
働いてなくて給料がもらえない
→ 当然のこと ☆100%
これも良いことと悪いことが釣り合ってない。
働いてないのに給料がもらえるのは聞いたことないが、働いたのに給料がもらえない事案は割と聞いたことがある。
もっと言えば、働いてないのに給料がもらえたとしても、それは良いことなのだろうか。
どうせ誰かに返すはめになるし、もらったお金を使えたとしても罪悪感しか残らない。
何もせずノーリスクでお金がもらえるなんて、そんな美味しい話この世にはないはず。
次は、違う角度で良いことと悪いことを見てみよう。
例えば、家から目的地まで歩いて迎うとする。
かかる時間は20分としよう。
この20分間で起こりうる良いことってなんですか?
女の子に逆ナンされるぐらいしか思いつかないのだが、そんなの奇跡に近い確率だ。
それに対し、悪いことはいくらでも思いつく。
・急に雨が降ってきてびしょ濡れになる
・誰かとぶつかって揉める
・車に轢かれる
・忘れ物をする
・落とし物をする
・服が汚れる
・風で髪が乱れる
・汗をかく
・職質される
・信号にひっかかりまくって予定より遅れる
あげだすとキリないが、悪いことはいくらでも起こる可能性がある。
つまり、世の中は悪いことで溢れかえっている。
生きているだけで、大量に起こりうる悪いことと向き合っていかなければならないのだ。
人生は不条理の塊だ。
精々、10回悪いことがあれば1回良いことがあるぐらいだろう。
じゃあ、どうすればいいか。
僕は思った。
日常的に起こる些細なことを、良いことだと思える感性を養うべきだ。
ちょっとしたことでも良いことだと捉えることで、良いことが起こった数を増やし、悪いことを圧倒すればいいのだ。
そうすることで、生きていて幸せだと自然に思えるようになるのではないか。
というか、これだけ卑屈めいたことを書いておいてあれなのだが、正直世の中は良いことばかりで溢れている思う。
朝起きて外が晴れていた、髪がちょっと上手くセットできた、出かける途中猫を見かけた、友達と会った、いっぱい話せて楽しかった、ご飯が美味しかった、お風呂が気持ちよかった、良い映画に出会えた、よく眠れた、良い夢を見れた。
これだけで十分なのではないか。
見方を変えるだけで、良いことなんて山ほどあるはず。
自分が変われば、世界は輝いて見えるだろう。
今、美容室でこれを書いているのだが、6000円のやつで予約してカラーしてもらったところ、なんか追加料金とられて16000円かかるらしい。
しかも時間も予定よりめっちゃかかった。
まじでふざけんな。
やっぱり世の中は悪いことばかりだ。
人生は不条理の塊である。
でも、僕は負けない。
そんな悪いことがかすむくらいに、もっと良いことだけで毎日を覆い尽くすのだ。
些細なことで幸せを感じられるよう、毎日を尊いものと思いながら生きていく。
だって、人生は一瞬だ。
花火のように儚い。
幸せだと思ってないともったいないじゃないか。
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