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舞台版を愛した人間が、映画版キャッツを見た時の反応

2019年公開の映画「キャッツ
元ネタは言わずと知れたブロードウェイミュージカルの定番で、劇団四季の目玉演目の一つでもあります。

私は舞台版に親しんできたので、正直映画を見るのに抵抗がありました。
元ネタを見たことが無い人からすれば、妙なCG処理をされた人面猫が歌って踊る映画にしか見えないかもしれませんが、私はどうしても舞台版と比較してしまいました。

今回の記事では、ある意味栄誉あるラジー賞にも輝いた映画「キャッツ」を見た時の素直な反応を振り返っていきます。
※ラジー賞とは、その年の最低映画に贈られる賞を指します

「CGが不自然すぎる」

舞台版はかなり猫に寄せたメイクをしているので、近くで見ても違和感は感じないのですが、映画版は耳の生えた人間です。これがなんとも不気味。
顔のパーツがそのまんま猫の輪郭に張り付けられているような感じで、
ホラー映画に出てくるクリーチャーを思わせる容姿に驚きました。
後に公開された映画「チップとデールの大作戦 レスキューレンジャーズ」でも、キャッツのCGがネタにされています。

こちらがブロードウェイ版のヴィクトリア(映画版と同じキャラ)
映画では主人公にされていますが、舞台ではそこまで脚光を浴びるキャラではありません。ただ、美しい白い毛並みとバレエダンサーのような優美な動きで観客を魅了する、キャッツを代表するネコの一匹ではあります。
とにかく、ヴィクトリアの愛らしさとふわふわの毛並みを失わせた事は
映画版の犯した罪の一つです。

「なぜキャラクターの設定を変える?」

映画に登場するキャラクター自体は舞台版と同じです。
しかしその設定が変に弄られているのです。

例えばバストファージョーンズ(写真のネコ)
彼はネコ社会における上流階級、いわゆる貴族の身分です。
オリジナルの歌詞からも、彼がいかに優雅な生活を送っているか、そしていかに良いものを食べているかが分かります。
そして潔癖症でもある彼は、椅子に座る前に埃が落ちてないかをチェックするほど神経質(舞台版の1シーンにそのような演出があります)
でも映画版はどうでしょうか。
ゴミ箱をひっくり返し、腐った肉や魚に全身を浸らせながらべちゃべちゃと下品に喰らうではありませんか。
バストファージョーンズはこんなことしません!

他にも設定が改変されたキャラがいます。

【ガス(劇場猫)】
老いぼれネコのガスは、かつては大舞台で喝采を浴びたすごい役者でした。
それが今や誰からも忘れ去られ、場末の酒場で過去の栄光を語るだけのおじいさんに。
生涯最後にもう一度、あの頃の名演技を見せてやる!と意気込んだ彼は
自身の一番の当たり役「グロールタイガー」となり、観客を圧倒します。
というのが舞台の設定。
映画版では、ガスとグロールタイガーは別のキャラクターとして登場します。なので前述の設定は完全に無視されるわけです。
いうなれば、同一人物であるはずのコナンと新一が2人同時に同じ場所に存在しているようなものです。

ただ補足として、そもそも舞台キャッツはTSエリオットによる詩集を原作としており、詩の中ではガスとグロールタイガーは別のキャラとして描かれています。

【オールドデュトロノミー】
本作で唯一、性別が変えられたキャラクター。
舞台はオス、映画はメス。なんで変えたのか意味が分かりませんでした。

【ミスターミストフェリーズ】
マジシャンのネコである彼は、舞台では華麗なマジックを次々と披露してくれます。他と群れないタイプのラムタムタガーからも信頼が置かれており、悪党のマキャヴィティにオールドデュトロノミーが誘拐された時、皆が真っ先に頼ったのはミストフェリーズでした。

しかし映画版の彼は内向的で、肝心のマジックの技術もてんでダメで失敗ばかりです。
物語を盛り上げるためだけに、凄腕のマジシャンという設定を奪われてしまったミストフェリーズは非常に気の毒でした。

「グリザベラのキャスティング」

舞台版の主人公「グリザベラ」は娼婦のネコ。
彼女が歌う「メモリー」はキャッツの主題歌となっており、魂を吐き出すかのような力強い歌声はブロードウェイの歴史に深く刻まれています。
映画版でグリザベラ役を務めるジェニファー・ハドソンは、歌手としても活動している事もあって歌唱力は抜群です。
だけれども、アフリカ系アメリカ人の彼女が演じるグリザベラは、あまりにパワフルすぎました。

ぼろきれを纏ったみすぼらしい風貌と、そこから発せられる劇場を震わせる歌声とのギャップがグリザベラをキャッツの主人公たらしめています。
その点で考えると、映画版はキャラのイメージを変に捻じ曲げてしまっているように感じます。






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