沈黙(遠藤周作)を読んで

自身の弱さを受け入れ、相手の弱さを認め、苦しみを分かち合う。

 話は島原の乱(1937年)が収束して、日本から宣教師が追放された後のこと。
20年間、日本にてキリスト教の布教活動を続けてきたフェレイラ神父が棄教したとの知らせがローマ教会に届いた。その事実確認、および日本の信徒を救うために3人の宣教師を派遣する。

 しかし、日本での隠れキリシタンを捉えては処刑する光景を目の当たりにする。宣教師がどれだけ祈っても神は黙ったままで何も答えてくれない。しまいには自分が捕まり、苦悩している時でも沈黙をしたままである。神の存在すら疑ってしまったが、最終的に理解する。神は、苦しみを分かち合うためにいるということを。

 実際、踏み絵を行う際も、「踏みたまえ」という声を聞いた信徒もいた。隠れてでもキリスト教を信仰する人々には強い人も弱い人もいた。だが、信徒は皆、自分の心の弱さを受け入れ、人と、そして神と苦しみを分かち合っていたのかもしれない。