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雨の匂い

『雨の匂いがする』
雨が降り始めるといつもこう思う
僕は雨がわりと好きだ
理由は街の風景が変わるからだ
傘の色が増えることで
晴れの日にはない色が増える
濡れた建物は
晴れの日にはない表情を見せてくれる
いつも歩く道には水たまりができるから
人はそれを避けて通る
同じ道を歩いているようで
実は同じようには歩いていないのだ
そんな街の風景を見ながら
雨が落ちる音がBGMとなって
街の表情を変えるドラマが産まれる
このドラマのオープニングが
「雨の匂い」となるわけだ

実際は「雨の匂い」ではなく
地面が雨で濡れることによって発する匂い
なのであって
雨自体が匂いを発しているわけではない
それでも僕は
この匂いを「雨の匂い」だと思っている
実際は間違っているけれど
多くの人に意味が伝わるのであれば
それでよいと思う

ところが
こういう間違いに厳しい人がいる
「雨の匂い」の話でいうと
実際に以下のようなことを言われた
「これはね、アスファルトに混ざってる埃とかカビとかが雨と混ざって、アスファルトの熱で気体になって匂ってくるんだよ。だから雨の匂いじゃなくて埃とかカビの匂いなんだよ。そんなのが好きだなんて君はおかしなことを言っているね。そもそも、雨に匂いなんてあるわけないじゃんHAHAHA〜」

正しいことを言っていると思う
でも
楽しくないのだ

正しいことは正解だろうか
例えば自分の思いと
上司がしてくる指示が違うとしよう
会社的にはその指示が正しくても
お客さんの目線に立った時
それは果たして正しいだろうか
どこを見て仕事をしているのかで
その正しいことが正解かどうかが変わってくる
そのように思う

1+1=2
これは、正しいし正解
でも、答えは「2」の1択のみである
一方「雨の匂い」という一種の比喩には
1択の答えではなく
多くのイメージが含まれるため
その答えは無限大とも言える
人それぞれ匂いを感じた場面が違うし
どんな匂いなのかという匂いの感じ方も違う
実際は雨の匂いではないにもかかわらず
「雨の匂い」で多くの人に伝わる
だからこの表現で正解でいいのに
「正しいことを正解」とするせいで
「雨の匂い」はペトリコールである
という答え一択になってしまうのだ
【ペトリコールとは、カビや排ガス等と水が混ざりあった匂いの成分がアスファルトの熱によって気体化することで発生するもの】
今まで「雨の匂い」として
幼い頃から感じていた懐かしい気持ちに
余計な事実(正しいこと)を挟み込まれることで
テンションが下がってしまった

故に僕は思う
「正しいことは正解か」と
正しいことのせいで
先に述べたように
テンションが下がることはないだろうか?
これに近いことで
僕はよく
「やる気をなくさせる天才」
と出会う
やる気が出た方がいいのに
やる気をなくさせることばかり言う人が
周りにいないだろうか
これは個人的な見解だが
その天才たちに共通していることは
正しいことを言っている
でも
楽しいことは言えない
おそらく
正しいことに忠実な人は
レール通りに進んで生きているので
自分のレールから外れたことが起こると
コントロールできない
だから正しいことは言うけれど
ユーモアもなければ楽しくもなく
正しいことを押し付けることが
正解だと思っているのだと、僕は思う

毎日テンション上げ上げで
毎日やる気に満ち溢れている
そっちの方がよくないですか?
正しいことを正解にするのではなく
楽しいことを正解にする考え方の方が
人生がユーモアに溢れて充実すると思う

故に僕はもう一つ思う
「ギャルが正解だ」と
特に黒ギャルが正解だ

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