見出し画像

最高のアニメに目一杯の祝福を

S

強烈な喪失感に襲われています。夏の湿気がこんなにも不快だったことを思い出してしまうぐらいには憂鬱です。2022年の10月から分割2クールで放送された令和のガンダムは新たな息吹を感じつつ、古き良きガンダムを感じさせてくれました。日本が誇る『ガンダム』の新たな門出に

『目一杯の祝福を』

感想

A.S.アド・ステラ122――
数多の企業が宇宙へ進出し、巨大な経済圏を構築する時代。

モビルスーツ産業最大手「ベネリットグループ」が運営する
「アスティカシア高等専門学園」に、
辺境の地・水星から一人の少女が編入してきた。

名は、スレッタ・マーキュリー。
無垢なる胸に鮮紅の光を灯し、少女は一歩ずつ、新たな世界を歩んでいく。

「機動戦士ガンダム 水星の魔女 公式サイト」より引用

まず最初に言うこととして自分はガンダムの履修が不十分であることです。今回は前知識なくても何ら問題はなかったと思います。でも、過去のガンダム作品をしっかり履修していた人の方がこの作品は深く味わえていることです。何が良いかってちゃんとその文化に触れてきた人であればあるほどこの作品を面白がれる作りになっていたことです。ガンダムが大好きな知人が水星の魔女が更新される度に「いい、、、これがガンダムや。。。ガンダムっぽくなってきたで。。。」と喜怒哀楽のどこにも属さない顔で漏らしていたのを思い出します。ここまでの境地に辿りつきたいなと憧れたのを思い出します。そんな作品だからこそ、老若男女関係なくこの作品が愛されたのかなと思います。

水星の魔女は2022年秋のクールで1話~12話、2023年春で13話~24話の分割2クール構成でした。分割2クールは他にはSPY×FAMILYなどが挙げられます。しかし、視聴者側だけの視点から見るとあまり良手とは言えません。なぜなら、12話と13話の間にどうしても3ヵ月のラグが出来てしまい熱が冷めてしまうからです。そんな構造上の問題をとんでもない方法で水星の魔女は解決しました。落差の使い方が上手すぎました。序盤は次話の引きがあまりない終わらせ方をしていた矢先に強烈な引きを残して次の話は3ヵ月後。あんまりこの言葉は使いたくないけど、制作陣はまじで「あたおか」。コロナ延期がなければ、12話はクリスマスの17時に放送されてたらしいです。コロナには基本的に振り回されてばっかりですがこればかりは感謝です。予定位通り放送されてたら年が越せずに2022年難民になりかけてました。

中身に関して、まずは12話から。プラントクエタのスレッタ、自分自身に言い聞かせてた母親の「逃げても1つ、進めば2つ」を胸に平気で人間の倫理を飛び越える瞬間。超絶怖かったです。今までガンダムはガンダム同士で戦うものであったのが、初めて?生身の人間へ明確な殺意を向けて殺した。人類は皆忘れていたこと基本的なことを思い出させられたのです。ガンダムは殺人兵器であるということを。人間は自分自身に被害を受けない暴力性をこよなく愛するように作られています。こう考えると、ガンダムは機械同士で闘うものであって人間を攻撃しない前提があったのもメジャーコンテンツに押し上げた要因の1つだったのでしょうか、そんなガンダムにおける大前提を一撃でぶっ飛ばした脚本まじで半端ないです。これが令和なのでしょうか。。。前述したガンダム好きの知人が12話の直後だけはそもそも水星の魔女自体存在していないように振る舞ってたのが面白かったです。衝撃が度を越えると何も言えなくなる事例に出会えました。

水星の魔女 12話より

この12話のプラントクエタの事件で一番よかったのはミオリネの言葉にし難い気持ちをちゃんと表していたことに限ります。彼女はガンダムはGUND医療という形で人のためになるガンダムを作り出すために伏魔殿な世界で粉骨砕身してました。そんな中で一番身近なスレッタがガンダムで自分を救うために人を殺し、それで笑顔でピットから出てくる。もう書いてるだけでグチャグチャになります。Psycho-passのシーズン3だったらミオリネがスレッタを殴って微妙な雰囲気になって終わっていたと思います。そうさせずにちゃんと留飲を下げた展開にしたのは好印象でした。

ここで欠かせないのはグエル君でしょう。今作のグエル君の扱いは親でも殺されたんかなって思うぐらいに落とされてる一方で評判はうなぎでも登れないぐらいには急峻でした。ここだけがちがちのメンヘラが脚本書いた気がするぐらいには明らかに狙われています。ジェターク社のボンボン息子で威張ってたらぽっと出の水星の魔女にボコられて、そっから結婚を申し込み、労働者となってしまったゆえに人質にもなり、それで地球でゲリラと行動をともにする。これだけでも波乱万丈枠は総取りではありますが、スレッタとの決闘に勝ったり、社長に返り咲いたり、弟の勘違いで殺されかけたりで紆余曲折が遠回りしすぎております。角川出版から自叙伝を出版していただきたいです。

こんな感じでネタキャラ的扱いをしているグエル君ですが、最期の決闘はまじでかっこよかった。ミオリネを救えないと自分で自覚したグエルはスレッタに一縷の望みを託すために決闘に流れ込ませてスレッタをホルダーにさせてミオリネに会わせるところ。マジで”漢”すぎる。作中で一番成長したキャラやと思います。

終盤はクワイエットゼロ、データストームとかの強めの横文字が並ぶ展開で完全に理解するのは難しく勢いで乗り切る展開にはなりますが結末も大満足です。惜しむらくは23話でラウダにグエルは殺されて、最終話でスレッタが力尽きる展開を望んでたことです。完全に”プラントクエタハイ”になってしまってる自分がいました。終盤でグエル、スレッタが死んだときの世間を見てみたかったのが本音です。株価の大暴落ぐらいはしてそうな気がします。そんな気持ちがあっても十分な満足感と喪失感で感情が満員にはなるたたみ方で全然問題なかったです。小ネタとしてはミオリネにめちゃくちゃに梯子を外されたペイル社4人組が3年後も一緒にいたことです。今後、仲良し女子4人組はペイルテクノロジー?とイジっていきたい所存です。たぶんですがギリ悪口かと思います。

自分の中で最高に盛り上がったのはペトラとラウダのシーンです。学校の襲撃に巻き込まれたけど右足が義足になって再び元気になったペトラの微笑ましいシーンですが言いたいのはそこではない。義足のクオリティがすごいんです。まずは実際の義足の写真を見てみましょう。

水星の魔女 24話より

結論から言うと、2軸性の膝関節を完全に再現出来ているところなんですよね。一般的に、膝関節は伸ばす/曲げるのみ有した”1軸性”の関節だと思われがち(理解が難しい方は曲げ伸ばしだけしかできないと理解してすすんでいただいて大丈夫)なんですけど、この義足って下腿の上に球を乗せた構造にしているので下腿を内/外に回す回旋運動もできるような構造になっているんです。これのおかげで急な方向転換などの難易度の高い動きも出来るようになります。アニメにおいて医療のシーンは割と適当に作られていることが多くて、「いや、松葉杖の持ち手が逆」「リハビリ中に転倒したら大ごとになる」とかで萎えることが多いのですが今回はまじで再現してます。まじですごいです。ちゃんとした医療監修のスタッフがいるはずです。逆にそういうスタッフなしでこの作画をしていたらまじで人体への造詣が深すぎます。ここから膝関節の協調的(他の関節と連動した人体に近い滑らかな動き)な運動が次の課題にはなるとは思いますがGUND医療なら解決してくれるでしょう。

今までのガンダムは「戦争」をテーマに「人間の相互理解」を描いていました。しかし今回のガンダムは今までみたいな「救い」ではなく「戦争の手段」と描かれていました。水星の魔女はガンダムというアイコンに新たな価値観を作ったということだけでも十分に価値のある作品なのではないかと思います。ここまでのカタルシスを生み出した水星の魔女には感謝しかありません。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?