見出し画像

かけた手間や時間の重みが「奥行き」となる―陶芸家・尾形アツシがうつわに込める哲学

画像4

コーヒーやお茶を飲むとき、副菜やメインを盛るとき、陶芸家・尾形アツシさんのうつわは出番が多い。

手仕事を感じるわずかなイビツさや、うつわに滲み出た景色が、ちょうどいい具合に私の心を満たしてくれる。均一ではないからこそ、使うたびに新しい発見があるし、見るたびに心が反応する。

画像3

この景色を側に置いておきたくて、尾形アツシさんのうつわは食事のときだけではなく、机の上に置いたり、リビングの棚に飾ることも。

画像16


尾形アツシさんは雑誌の元編者で、30代で脱サラして陶芸の世界へ。
うつわ作りにおいては、「奥行きのあるものを作りたい」と言う。

尾形さんの言う、「奥行き」とはどういうものなのか。
奈良県の宇陀市にある工房でたっぷり話を伺った。

画像20


「人の表現を超える世界」 がある。

ー尾形さんが陶芸を始めたきっかけを教えてください。

元々東京出身で、雑誌の編集者をやっていました。
写真家や絵描きなどクリエイターと一緒に本を作る仕事だったのですが、彼らと関わる中で刺激を受けて、だんだんと一人で完結するものづくりに惹かれていきました。また、仕事がルーティン化して締め切りに追われる生活に疲れてしまったことも大きかったですね。
自分一人で何か企画できるもの、つくる仕事ができないかと絶えず探しているときに陶芸に出会ったんです。

それで、1995年、30代前半で仕事をやめて、愛知県の瀬戸にある陶芸の専門学校へ入学しました。

画像20

ーそもそもなぜ、陶芸の道を選んだのですか?

実はもともと私より先に、妻が陶芸に興味を持ちはじめたんです。
彼女は仕事をやめて、愛知県の専門学校に通っていました。

また、私の母親も趣味で陶芸教室に通っていたこともあり、うつわに触れる機会が多かった。そんなきっかけが重なって、私も東京から愛知に移り住んで妻と同じ学校へ通い、学びました。

画像5

ーすごい、30代半ばで陶芸をゼロから。思い切った決断でしたね。

はい、卒業後は愛知の陶器工房で2年働いたあとに独立しました。
なかなかすぐに結果は出なかったですね..。陶器市やギャラリーに自分の作品を少しずつ出していましたが、食べていけるようになるまでは時間がかかりました。家族の理解と、家計的な支えがなかったらここまで続けるのは難しかったと思います。

作風も、初期の頃と比べるとだいぶ変わりました。
最初はうつわに線や文字を描いて「自己表現」をしていたんですよ。こんなうつわをつくっていましたね。

画像20

ーわぁ、今の作風とは全然違うテイストだったのですね..。

こんな作品をつくりながら、「もっと違うアプローチで陶芸を表現できるのではないか?」と日々模索していたんです。
私はもともとシンプルな食器が好きだったので、うつわに線や絵を描く方法ではなく、もっと「素材だけ」で伝わるものを作りたい。そうして、うつわに白化粧(※白い泥のこと)をした粉引きなどの技法にも力をいれるようになりました。

画像20


ー線や文字を描く「自己表現」から、素材だけの「シンプルな技法」へ。そう変わったのはなにかきっかけがあったのでしょうか?

陶芸家の青木亮さんに大変影響を受けました。彼のうつわには、やりたいことが全て表れていた。「土」と「焼き方」だけで表現できることがたくさんあるんだと教えてもらいました。それから、飯碗や茶碗など何気ない土のうつわでも「人の表現を越える世界がある」と、強く認識するようになったんです。

ー人の表現を超える世界。

「土を焼く」というシンプルな行為で、十分面白いものができると分かったんです。
たとえば、何日も薪窯(まきがま)で焼き続けたうつわには、灰がかかった景色であるとか、土や化粧の表情が、何層にも重なり表現されます。かけた手間や時間の重みが、「奥行き」となってうつわに滲み出てきます。

画像8


何百回も薪を投入することで炎がうつわを焼き込んでいく。長い時間をかけて薪窯で焼くことでしか、生み出せない表情がある。
今まで色々な陶芸家に出会い、作品を見る中でそう確信し、「土」と「焼く」ことを見直す路線に舵を切り、薪窯を取り入れました。

画像9

ただ..薪窯を使うには色々と制約があるんです。
煙がもくもくと出るし、薪も大量に必要。住宅街でやるのはなかなか難しい。そうして今の場所、人里離れた奈良の宇陀市へ移住し、薪窯をつくりました。

画像23


焼けば焼くほど面白い


ー焼き方が、うつわに表情となって滲み出てくるのですね。

はい。そこには、陶芸家のうつわに対する関わり方が全て出てきます。
その人がどういう意識で焼いているか。ただ単純に焼けばいいわけではなく、薪窯の特性を理解したうえで、狙った「意図」があるかどうか。意図がちゃんとあるうつわは、面白くなるんです。

画像21

意図は、つくる前に理想を思い描いているかどうかということです。それをもって、「自然の流れを演出する」ことを狙って、焼く。ある意味、作為的なんですよ、薪窯でつくるうつわって。
人の思惑と労力に、自然の要素がかけあわさったときに作品が生まれます。

ー意図していてもその通りに実現するのはなかなか難しそうですね..。
そもそも尾形さんは、うつわを焼くとき薪窯だけではなく、ガス窯も併用していますが、この2つの違いってなんでしょうか。

大きく違うのは、「炎の調節がきくかどうか」ということです。
ガス窯はツマミひとつで焼き方をコントロールすることができてしまいます。

画像23


それに対して薪窯は、人間が薪を入れることでしか調節できない振り幅があります。何十回も焼くことで窯の特性を理解する。時間と手間のかかり方がだいぶ違いますね。


画像21

画像21

私も、今の薪窯の特性は3-4年は分からなくて、途中で改良を重ねながら最近やっと少しずつ焼きやすくなってきました。焼きやすい=温度管理がしやすくなるということなのですが、ただ、合理的な焼き方ができてしまうと、逆に面白みがなくなるんですよ。焼き上がりが淡白なうつわになってしまいます。
私は、クセがあって表情のあるうつわをつくりたい。その折り合いを、窯と向き合いながらうまくつけていますね。

画像23

ー窯と向き合うこと..。陶芸家ならではの、奥深い次元の話ですね。

まぁ、難しいことは考えずに、要は焼けばいいんですよ。失敗しながら焼けばいいんです。
そもそも薪窯は、場所も選ぶし、不自由で効率の悪い窯なのですが、焼けば焼くほど面白くなる。薪が灰になって釉薬がかぶって溶けて、うつわの表情になる。
時間的にも工程的にもたいへん手間がかかる形で焼き上がっているので、ガス窯で同質のものは決して出せないと思いますね。

画像20

土と向き合い、委ねる。

ー私、尾形さんのうつわを見たり触れたりしていると「自然」を感じるんです。自然を抽象化したエッセンスが、まるごとうつわに詰まっていて、五感を刺激してくれるような..。

私は1年半前に、東京から奈良へ移住したのですが、東京にいる頃は高いビル群に囲まれたなかでの生活で、自然とはほど遠い暮らしをしていました。奈良に来てから自然に触れる機会が多くて、息を吹き返したような感覚になっているのですが、そんな中で尾形さんのうつわに出会い惹かれたのは、自然が透けて見えるからだろうと思います。
ここにはきっと、尾形さんが普段みている「景色」が映し出されている、そう感じていました。

画像15

ありがとうございます。普段見ている景色が表れているというのは、あるのかもしれないですね。私ももともと人工的なものより自然的なものに惹かれます。

うつわには、その人が普段から「何を見ているか?」が滲み出てくると思います。例えば、マニアックな技法が好きで忠実に再現したい人は、こだわりすぎて食器の枠を超えてしまうオブジェのようなうつわになります。北欧テイストが好きな人は、スタイリッシュなうつわになります。
きっと、人間の業みたいなものが、うつわを通して表れてくるのでしょうね。

画像22

いっぽうで私はというと、こだわりは薄いほうであんまり特徴はないのですが、大事にしているのは「自分の中で面白いと思えるかどうか」ということです。土が焼かれてうつわができたという「焼き物の痕跡」を残したい。人工的なものではなく、自然の中で生まれた痕跡がうつわに見え隠れするところに面白さを感じます。

そのために焼き方を工夫してみたり、あえて扱いが大変な原土(陶芸用に加工されていない、山から削った土)を使ってみたりしています。

画像24

結局は焼き方も原土も、「付き合い方」が大事で、陶芸の面白さはそこにあると思います。
どうやったらこの土は食器として蘇ってくれるのか。
考えながら土と向き合い、自身を委ねていくと想像以上の変化や表情に出会えることがあります。そこに面白みがあるので、常にちょうどいい焼き方を探しながらつくっていますね。

画像22

ただ、それだけだとリクエストに答えられるような「同じ」うつわを生み出すことはできませんので、加工された土を混ぜながらつくることもあります。

また、現代は洋風なテイストのものが流行っているので、飯碗よりパン皿を使う人が多い。実際、私の子どもの主食もパンです。
ですので、「洋風っぽいもの」というオーダーがあれば、粉引きでシンプルな表情のうつわもつくります。時代に合わせてうつわも変わっていくことが必要だと思います。

画像17


ただ、端正でシンプルなものは山ほどある中で、それとは違ったものを目指したい。表情があって仕掛けがある。多様で奥行きのあるものをつくり続けていきたいです。
それは自然の荒々しさがうつわの表情となって映し込まれているかどうかであったりするのですが、料理を盛ったときに少しでも何かを感じてもらえたら、と思います。

端正なパン皿もいいけれど、たまにはマイ茶碗でご飯を食べたり、毎日飲むカップはお気に入りを使うなど、小さなこだわりに寄り添う存在でありたいです。

うつわの世界はまだまだこれから。
個展などを開催すると、うつわを実際に使ってくれる人の生の声を聞きますが、その度に勉強になるし、励みになります。これからも若い方や初心者の方に響くようなうつわの面白さを伝えていきたいなと思います。

画像22


あとがき:
尾形さんにインタビューした帰り道、こんな景色に出合いました。

画像22

何気ない竹林の風景だったのですが、風に揺れる木々の音や澄んだ空気、自然のにおい。何度も後ろを振り返って、この景色を目に焼きつけながら帰りました。

これを見ながら、尾形さんが話していたうつわの表情、「奥行き」とは、単なるテクニックの話ではなくって、生き方そのものなのだろうと感じました。普段どういう景色を見て、そこから何を感じるのか。それがつくる原動力となり、うつわに滲み出てくる。そうして、使い手の心にやさしく沁み込んでくれる。

真剣に真剣に向き合ったからこそ、生まれるもの。
尾形さんの軽やかな口調から着実に築きあげたものをうつわに感じて、「奥行き」の、さらに「奥行き」に出会えたような気がします。


---プレゼント企画---

今回も長いインタビューを読んでいただきありがとうございました。
恒例のプレゼント企画。このnoteを読んでいただき何らかのリアクション(noteやtwitterのコメントやいいね)をしてくださった1名の方に尾形アツシさんのうつわをプレゼントします。

プレゼントするうつわはこちらです↓

画像25

画像26

直径約16cmのうつわです。
このうつわは、尾形さんと「初心者の方でも使いやすくて」「日常でたくさん使えるものがいいよね」と話しながら選んだ1枚です。一見シンプルなようでいて、細かなひび割れや、色の微妙な変化が豊かな表情のうつわ。前菜やおかずなど、色々合うと思いますよ。私だったら、かぼちゃの煮物やきんぴらごぼうを盛りたい。あと、豆大福も中央にちょこんと置いたらかわいいだろうなぁと妄想を膨らませています。


画像27

画像28

高台も高すぎないので、テーブルに並べたときに他のうつわともバランスよく馴染んでくれると思いますよ。食器棚で重ねるときもグラついたりしないだろうと思います。


私は個人的にこのうつわはドストライクで、眺めているとなぜかどきどきしてしまいます。こんな男性がいたらきっと恋をしてしまうだろうな..。

また、いただいた感想やコメントもすべて尾形さんに伝えますので、なにか感じたことなどありましたらぜひお気軽にいただけると嬉しいです。
ありがとうございました。

※プレゼント企画、当選者は波佐見町に住む「くりたまき」さんでした。

早速つかってくれたようで、うれしい。
くりたさんにとって、長く寄り添ううつわになりますように。

***

〈尾形アツシさんのインスタと展示会を紹介します〉

ウェブサイト↓

2021年の展示会予定↓
3/11〜 渋谷パルコ1fディスカバーJapanラボ
3/24〜 国立新美術館b1Fsftギャラリー 「ツボる展」壺展
4/10〜 鎌倉うつわ祥見
5月 台湾小器
6/4〜6/8 東京 桃居


写真提供:うつわ穂垂
Edit:Haruka Tsuboi

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?