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Netflix「浅草キッド」〜“世話になる”ということ〜

12月9日17:00に待望のNetflix新作「浅草キッド」が配信された。まずこの日は忘れもしない35年前の未明、フライデー襲撃事件があり、翌日10日は『たけしの挑戦状』が発売され「奇しくも」なのか「狙い」なのか、ともかく軽い興奮を抱えて鑑賞した。原作は1988年1月に発売された小説『浅草キッド』だ。

『浅草キッド』というフレーズは、1985年から民放各社の8時台番組全視聴率トップ獲得を達成し『ビートたけしバラエティ黄金期』と後に呼ばれるタイミングで登場した。自身のエッセイ集『たけしくんハイ!』がNHKの銀河テレビ小説でドラマ化。歌手として、ゲームクリエイターとして『元祖マルチタレント』の名をほしいままに活躍していた1986年。それに先駆けること2年前の1984年には映画『夜叉』のロケ中の空き時間に手掛けた、自らが作詞作曲した楽曲に『浅草キッド』と名付けたのが初出。

この曲を収めた1986年8月発売のアルバムにも『浅草キッド』と冠し、その後、それまで断片的には語ることがあった浅草時代を初めて小説・自伝の形でまとめた書籍にやはり『浅草キッド』と冠した。敬愛する美空ひばりさんの『東京キッド』からの引用で自身の半生に掲げた大切でお気に入りのフレーズだ。自身の実績が充分な域に達し、やっと深見師匠を天下に宣揚出来る『時』が来たと判断したのだろう。
——ここが肝心なのだが、社会的かつ客観的に認められたポジションにいなければ誰も耳を傾けない。誰しもが認め、評価されている人物だからこそ耳を傾け、説得力を持つ。その人物が自身の「師匠」を語れば「弟子がここまでなのだから師匠も相当大した人物なのだろう」となる。弟子はここまでやって「弟子」であり「師弟」が完成する。
一般的に門弟に入れば「師弟」と安直に括られるが本来はそうではない。弟子が独り立ちしての「師弟」なのだ。

——ちなみに俺個人は浅草に興味も恋慕もない。ビートたけしに弟子入り志願したが、もちろん殿の出自として深見師匠とフランス座の事は「常識」として知っているし同期の大阪百万円がフランス座へ修行に入ったので彼からの話は聞いている。
それ以前にも『週刊ポスト』などで殿の取材で関わる浅草時代からの盟友井上雅義さんから幾度となく当時の写真を交えながら深見師匠やフランス座の事を伺っていた。きよし師匠からも番組でご一緒するやそこでもお話を伺うことが出来た。
しかし当時の自分は例えばとんねるずがブレイク前まで新宿御苑のショーパブ『KON』で腕を磨いたり、やはりダウンタウンが心斎橋の『二丁目劇場』が東京進出するまでの活躍の場であったりと、売れる芸人にはそれぞれ「自分達の場」があると考えていて、自分にとっての『フランス座』のようなものがあるのだろうと考えていた。ちょっと気障キザだが当時の俺には何でも後追い、真似をするビートたけしのファンではなく自律性を持つ弟子なのだ。との哲学があった(思えば若くて生意気だった。。。)

——自分は本作の劇中3度ほどホロリとさせられたが、それは自分から頭を下げて弟子入し、世話になった師匠にみずから別れを切り出す辛さに自身を重ねたから。
俺は殿の付き人ボーヤを2年経てから自身で活動すべく殿の許を離れた。2年間自分なりに勉強が出来たと感じ、力を試したくて仕方がなかったのだ。しかし自身の師であり、父であり、最大の恩人である人とみずからの決断で「別れなければならない」体験ほど辛い事はなかった。それを告げた時の殿の寂しげな表情と帰り際、車を待つ場で、殿が何か言いたそうな面持ちで俺の前を特に用もないのにウロウロしている姿は今も忘れる事はない。

本作を簡単に『師弟愛の物語』と言ってはしまえるが、自分は敢えて開き「誰かに世話になるということはどういう事なのか」をメッセージとして本当の意味で受け止めて欲しい。感じる恩の大きさだけ返すべき恩も大きい。弟子(と名乗るなら)はそこから逃げてはいけないのだ(自戒を込めて)と。これは業界の違いに関わらず師弟関係では普遍的な価値観であろう。
一般的に徒弟の途に進もうと考える者は「入門さえしたらあとはなんとかなる」としか考えないが、実は果たすべき大きな宿命を背負う羽目になっている事を自覚出来るのは随分先だ。それに気付かない奴もいるし気づいて直視出来ない者もいる。もとよりどのレベルの実績が『恩返し』に該当するのかも当事者同士のみぞ知る。師を解っている者ならその案配もわかるものだ。

さて、この作品を多くの方が観ることで「自称浅草キッドマニア」も登場する事だろう。そんなこの作品に惚れ込んだ方達に是非勧めたい書籍がある。それがビートきよし師匠の『もうひとつの浅草キッド』だ。

フランス座〜ツービート結成〜ブレイクまでが上映時間の問題もあってかかなり端折ってあったが、この書籍は確かに原作本『浅草キッド』で欠けていた情報分を見事に埋め合わせている。きよし師匠の前の相棒の事も、きよし師匠にはどうしてもすぐ相棒を探さねばならない事情があった事、なにせきよし師匠はフランス座の前の『ロック座』の時代から深見師匠と行動を共にしていたから、コントの演目や指導ポイントまで仔細が記されている。そして売れない苦難の日々に加えツービートの漫才の構造や技術的な説明もなされ「最後の漫才の日」の場面は感涙必至。
そしてトドメは巻末に『ツービート対談』が収録されてるといった周到な案配。是非手にとって欲しい。




 


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