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高人さんが猫になる話。10

ちゅん太がようやく俺を認識してくれた。

タクシーに乗ると分かると、逃げたいような嫌な気分になる。タイヤの音が嫌いなのだ。あと揺れも怖い。
でもこれに乗らない事には帰れないのだから仕方がない。
ちゅん太の膝で大人しくしておこう。

「…――――動物病院へお願いします。」
ん?病院いくの?…なんで?耳をピンとたててちゅん太を見た。

気づいたのか、こちらに微笑んでくる。

「だって、1週間お外で暮らしてたじゃないですか。健康診断ですよ。」

なんだ、健康診断か。
ホッとして、返事で鳴いたつもりが声が出ていなかった。もういいや。と思い、タイヤの音から逃げるためにちゅん太の腕の中にぐりぐりと顔をつっこみ耳を塞いだ。

…猫は発情期になるとイライラしたりソワソワしたりとても落ち着きがなくなる。子孫を残さないのならば去勢をするのが一般的だから一瞬脳裏によぎってしまったのだ。
だが、すぐに思い直す。この変態絶倫天使が。俺を聖人君子みたいにするわけ無い。
人間の頃だったら、ははっと乾いた笑いを浮かべていただろう。いかんせん俺は猫である。ため息をつくくらいしかできない。

なにやらゾッとしてちゅん太を見上げると…。

……なんだその悪代官みたいな笑みは。

俺はこいつを信じて大丈夫なんだろうか。
一抹の不安を感じる。

取り繕った笑顔で、
「どうしました?」
と見つめてくるが…。

おおかた自立できない俺の世話が出来て支配欲だか独占欲だかが満たされてんだろ?お見通だよバカちゅん太。

まったく。でも好きなんだから、仕方ない。それすら嬉しく思ってしまっている俺も大概だと思う。

動物病院に行くと、軽く問診票を書いて、診察室に呼ばれた。

獣医と看護師はグローブを嵌めて準備万端である。

ふん!そんなものいるか!

「高人さん、診察いけますか?」

「にゃァン」
可愛らしく鳴いてやる。
ひょいっと診察台に乗ると、先生の方を向いて座った。

何をすれば良いんだ?を表現して、首を軽く傾げてやれば、ちゅん太が打撃を受けている。

「か、可愛い…ッ」

ちゅん太よ、ちょっと黙ってろ。
イタイ飼い主みたいになってるから。

「タカトくん偉いねぇ、じゃあお口見せて?」
獣医の先生がグローブを外して俺に話しかけてくれた。

伸ばされてくる手が触る前に口を開ける。
「ほう、すごいね。わかるの?」
驚いたように言うと、診察を続けた。
獣医の言う通りに動いていると、すぐに診察は終わった。

「うん。大丈夫みたいだね。最後に血をとってもいいかい?」

いいよ。という風に寝台に寝そべるとぐーんと伸びをして、好きにして。という感じで寝そべった。

「東谷さん、タカトくん暴れないとは思いますが、不安でしょうから、身体に触れていて貰えますか?」

ちゅん太をちらりと見ると、心配そうに手を差し出している。

お前が怖がってどうするんだよ。
まったく。

尻尾で、伸びてくるちゅん太の手をそっと撫でてやると、少し安心したようだった。

「いやぁー、タカトくんすごいですね!びっくりしましたよ!検査結果は問題ありませんでした。擦り傷がいくつかありましたので、傷薬を処方しておきますね。使ってください。」

「ありがとうございます。」
ちゅん太は丁寧にお礼を言った。

ふん!おれにかかればこんなもんだ!
パタンパタンと診察台で尻尾を上下に揺らした。

ちゅん太がそれを見て、にこにこと嬉しそうだ。

病院を出ると、またタクシーに乗り今度はちゅん太の家に向かうようだ。今日は1日疲れてしまった。  

ちゅん太といえば、貰った診察カードをずっと眺めいいる。
何が書いてあるのかと、覗き込む。
「高人さんも見ますか?ほら。」
嬉しそうに見せてくれた診察券には、東谷タカトと書いてあった。
つまり、同姓だった。途端に気恥ずかしくなり目を逸らす。

「ね、なんだか、結婚したみたいじゃないですか?」

でも、猫だけどな。

ちゅん太は、、ふふふ。と幸せそうだ。
幸せそうなら、まぁいいか。

マンションに着くと、久しぶりのちゅん太の部屋、安堵感を覚える。
「おかえりなさい高人さん」

うん、ただいま。

手足を拭いてもらい、俺は部屋を歩いて回った。キッチン、リビング、ベッドルーム。
生活感が無いな。なんと言うか、ベッドルームもキッチンも、使った様子が無い。

また1人で考えこんでたな?

ため息ををついて、ちゅん太を探す。ザァーとシャワーの音が聞こえて浴室に行くと、シャワーの湯を調整していたちゅん太がこちらを見てた。

「ああ、高人さんお風呂に入りましょか。」

俺が洗ってあげます!とばかりに腕まくりをしている。

引っ張り込んだり無理に洗ったりはせず俺の動きを見ているようだった。

スタスタと浴室に入ると、「お風呂大丈夫そ?」と優しく笑いかけてくる。

嫌がるとでも思ったのか?
そんなわけないだろ。お前が洗ってくれるのに。

目を細めて擦り寄ると、大丈夫だと捉えたのか、シャワーでゆっくりと流してくれた。

「熱くないですか?」
「にゃぁーん(すごく気持ちいい)」

身体を洗ってくれる手が気持ちよくて蕩けそうだ。

わちゃわちゃとお風呂で騒ぎ、リビングへ戻ると、ドライヤーで身体を乾かしてくれた。この音も我慢はできるけど好きじゃない。猫になって音に敏感になったな。

綺麗に乾かしてもらうと、なんだか身体が軽くなったようで嬉しかった。

ちゅん太!ありがとな!

「…高人さん、ちょっと抱っこしても良いですか?」
膝をポンポンと叩いて、こちらに来てと懇願してくる。

可愛いなぁと思いながら近づくと、抱き上げてくれる。
どうだ、気持ちいいだろう?
自分では堪能できないのが残念でならなかった。

ちゅん太は少しの間もふもふを堪能すると、すぐに俺を床に下ろした。
「にゃ?(どうしたんだ?)」

「すいません、びしょ濡れになってしまったので、俺もシャワー浴びてきますね。」

笑ってはいるものの、欲を抑えているのが分かってしまう。

あー…。そうだな。この姿じゃ相手してやれないな。
こんなに好きなのに。
ガラス一枚を隔てたかのような、触れたくても届かない悲しみが心を支配した。

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