高人さんが猫になる話。8
ここ数日、ちゅん太は毎日のように逢いにくる。何をするでもなく、手土産に水とご飯を携えて、ただ隣に居る。一日中。
こいつは、俺を探さないで猫の尻ばかり追いかけて何してんだ!
いや、俺が西條高人である事は間違いないのだが、どうも気づいてる様子はない。無いのに毎日やってくる。
猫になって5日目、1日も欠かさずやってくるこの男に苛立ちを感じていた。そんなに猫がいいのか。俺の事はお構いなしか!
自分自身に嫉妬など己の尻尾を追いかけて捕まえようとするくらい愚かだ。そんな事分かっている。
今日もまた、どうやって見つけたのか俺が寝ぐらにしているいくつかの一つである小さな公園に顔を出している。
「あ、いたいた!今日はここだったかぁ」
見つけた!とばかりに背中に翼がぱっと開いた(気がした)。
ベンチで日向ぼっこをしていた俺に近寄ってくる。いったいどうやって見つけてくるのだろう。
「ご飯食べます?」
にこにこと笑うちゅん太。俺の機嫌は悪くなるばかりだ。
食べるけどな!!早く出せ!という風に尻尾をびたんびたんとベンチに打ちつける。
「あはは、ご機嫌斜めですか?」
困った様に笑うちゅん太に、いつものようにご飯を出してもらう。ベンチの下にご丁寧にランチマットを敷き、紙の皿にドライフードと水を入れてくれた。
ベンチから降りそれをやけ食いしていると、代わりにベンチに座って、ちゅん太が俺に手を出そうとする。
「黒猫さん、触っても…」
「にゃぁゔゔぅぅうッ(触るな浮気者!)」
「あ、すみません…」
天使がしょんぼりと笑っている。
またゆっくりとベンチに座り直すと、持ってきた台本を開いて、目で内容を追うように読み始める。雑誌でも眺めるかのように。
早春の風は少し肌寒かったが、日の光は気持ちいい。
ちゅん太の髪が風に揺れて、ちらりと見える表情は穏やかである。
ひとしきり食べ終わると、顔を洗いベンチに飛び乗った。
ちゅん太がチラリと視線だけで見てくるが構ってはこない。嫌がると判断したのだろう。
お腹がいっぱいになり、ちゅん太のとなりでゆったり寝そべる。顔だけ起こすと手をペロペロしては顔を洗った。
ああ、気持ちいい。
無意識に喉をゴロゴロと鳴らす。
寝ながらぐーっと伸びをすると、ちゅん太の太ももに肉球が当たる。
温かい。
そのままゆっくりと目を閉じて昼寝に興じた。
夕方起きると、うつらうつら居眠りをしているちゅん太が目に入る。
「にゃおおん。ナァン(おい起きろ)」
風を引くぞ、と、尻尾でちゅん太の足をパシパシ叩く。まったく起きる気配が無いので、膝に乗り、胸に前足をつき、耳元に鼻を近づけ、、
「にぁぁぁぁん!!」
めいっぱい叫んでやった。
「わぁ!っ」
ガバァて飛び起きるたので、ひょいっと膝から飛び退いた。
「にゃーん。にゃおう(起きたか、おはよう)」
「おはようございます。起こしてくれたんですね…高…っ」
ハッとした様子のちゅん太。
今、名前呼ぼうとしたか?
じーっとちゅん太を見て、パシパシと尻尾で地面を叩く。
ちゅん太は困ったように笑った。
「あはは。あなたにとても似ている人がいて、、つい、名前を言いそうに…」
くしゃりと前髪を抑え苦笑する。
合ってるんだけどな。きっと、本能では分かってるんだ。気付いてないだけで。理解できない事はあり得ない事だと位置付けてしまう。人間は不便だな。
じっとちゅん太を見上げる。疲れているな。普段は隠しているようだが、もしかしたら寝れてないのかもしれない。
「にゃーん。なぁぁん(帰るだろ?送る)」
先導するように歩きだし、まだ動かないアイツを振り返った。
「にゃぁ?(帰らないのか?)」
ちゅん太は動かない。
少し離れたところにちょんと座り、俺はちゅん太を呼ぶ。
「にやぁん(おい)」
「黒猫さん一緒に来ませんか?俺のとこに」
「……」
返事はしない。
まだ確信も無いくせに。ただの猫だと思ってるくせに。お前が俺だと認識するまで絶対行かないからな。送ってやろうと思ったが辞めだ。ちゅん太を置いて夕方の公園を後にしたのだった。
次の日、たばこ屋の軒下で昼寝をしていると、人の気配がして飛び起きた。
「あ!おはようございます。黒猫さん。今日も晴れて良かったですね」
また、ちゅん太がやってきた。
「に゛ゃ⁈」
驚いて変な声が出る。
ちゅん太はたばこ屋の前に設置された自販機で飲み物を買っている。
「今日はどこに行くんです?」
「…」
猫は夜行性なのだ。昼はだいたい昼寝なんだよ。
にこにこと笑顔のちゅん太を、呆れ顔で見上げた。
仕方ない。ちょっと付き合ってやるか。
ムクリと起きると大きなあくびと伸びをした。
今日は散歩でもしよう。
ちゅん太を見ると、穏やかに笑っている。
…誰に向けて笑ってんだ。
俺が歩く後ろを一定の距離を空けて付いてくる。
目的地もなく路地裏を歩く。ちゅん太が歩ける場所を選んで。
大人2人がすれ違うのがやっとという道を歩くいて行くと、坂道が姿を表す。両隣りは古びた民家と手入れしきれていない庭の木がトンネルのように茂っていた。そこをゆったりと登っていく。
ちゅん太は、へぇ…という風に周りを見渡している。
都会にこんな場所あるなんて、驚いただろう?
俺も猫になって気付いたんだ。
坂道を登り終えると、そこで座り、ちゅん太が来るのを待つ。姿が見えなくなったら心配するかと思ったから。
その姿に、ちゅん太もクスリと笑う。
「待っててくれてありがとうございます。わぁ。見晴らし良いですね。」
その場所は、高台になっており、昼下がりの街が見渡せた。風が気持ちいい静かな場所である。
高台はベッドタウンのようで、端正な住宅が立ち並んでいる。このまま真っ直ぐの道は大通りに出るようだ。
車は嫌だな。
キョロキョロと周りを見ていると、
「黒猫さん、こっち、どうですか?」
また階段を見つけて、ちゅん太が指差している。
こいつも散歩楽しんでるようで、ホッとする。
気分転換になってるか?
にこにこ笑うちゅん太に困ったような嬉しいような複雑な気持ちになる。
2人はその日、あちこち歩き周り、また夕方、元の場所に戻って別れた。
次の日、たばこ屋の隣でうとうとしていると、人の気配がした。ちゅん太かな…と思っていると、突然網を被される。
「に゛ゃあぁぁぁッ!」
網の中で暴れていると作業服の男2人がじっとこちらを見てきた。
「こいつだな。よーし。行くぞ〜」
車に設置してある檻に移されてどこかへ連れていかれる。
なになになに…ここ…狭い怖い…車の音が、排気ガスの匂いが怖い…ッ!
隅に縮こまっていると、どこかに着いて降ろされ、また狭い場所に移された。
そこは獣の匂いがして、悲しげに鳴く声、苦しげに鳴く声、怒りに満ちた声がこだましていた。
収容施設??同じ場所に居たから通報されたのか?
逃げられる気がしない。ここにずっと居たらどうなる?誰かに貰われる?そうでなければ死ぬしかない?
檻の隅で震える。
しばらくすると、誰かが話をしながら入ってくる。
「この子で間違いないですか?」
なに?だれかに貰われるのか?もう、ちゅん太に会えない?嫌だ。絶対行かない。あいつ以外絶対嫌だ!
「高人さん!大丈夫ですか⁈」
ちゅん太⁈ぱっと振り返る。
「にゃんにゃぁぁ!にゃぁぁん!(ちゅん太!ちゅん太!)」
「間違いないようですね、はいはい猫ちゃん、出してあげますねー。」
出してもらうと、ちゅん太に抱いてもらう。
ビクビクしながらちゅん太の腕の中に頭を突っ込んで外界の音と匂いを遮断する。ここを出るまで絶対顔は出さない。絶対だ。
外に出た気配に、スポッと顔を出す。
ちゅん太を見上げると、真剣な表情でこちらを見ている。
「高人さん…ですか?」
意を決したように、真剣に。
「にゃ」
小さく返事をした。やっと、やっとこっちを見てくれた。
「YESなら瞬き、2回してしてください。」
言われた通りに瞬きをする。
「…本当に?」
また2回、ぱちぱちと瞬きをする。
自分を疑うな。そうだよ。俺だよ。やっと気付いたな。ちゅん太。
俺を抱きしめる手が少し強くなる。
「見つけた…良かった…生きてる…高人さんッ」
ポロポロと涙を流す愛しい人を前に、やっと再会できたことを心から喜んだ。
俺も会いたかったよ。見つけてくれてありがとう。
涙の伝う頬を舐めて、そう思った。
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