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遊郭で高人さんを見つけました。10

2ヶ月間の激務がやっと落ち着いてきた。
睡眠時間を削り、視察や挨拶回り、社内会議に他社との合同会議、夜には資料や報告書に目を通して食事も書類片手に軽く済ませるような日々がようやく終わる。
東谷准太は執務室の椅子にだらりと座る。
「流石に疲れたな。」

仕事については父を黙らせるほどの売上を出せている。ここから新しい試みすら提案しているし、損害と言われた部分については返上できた。
父は損害と言うが、俺にとっては手に入れたい人が同じ価値かそれ以上なのだから、損害とは言えない。

「やっと会えますね」
貰った手紙を眺めながら彼の事を考えると、ふっと笑顔になってしまう。
最近綾木屋の主人が高人さんに接触していたようだけど、あの人は身内扱いなのでそれ程気に留めていなかった。高人さんを陰ながら支えているのは確認済みだ。俺はよく思われてないみたいだが。

コンコンとノックの音が部屋に響く。
「はい、どうぞ」
カチャリとドアが開くと初老の男性従業員が入ってきた。
「失礼します。若旦那様、これから遊郭地区へ参りますが、何か頼まれ物はこざいますか?」
いつも花房屋への配達業務を担当してくれている人だ。今から配達物を持っていくだろう。

そして閃いた。

「すみません、その荷物、俺が運びます。」
にこりと笑い言うと、少し驚いたような顔をした後、察したように、あぁ、と朗らかに笑みを浮かべて一礼した。
「承知致しました。」

荷馬車に向かい、帳簿を取り出して中身の確認をする。
食品が主のようだ。高級食材から普段使う油や酒、米などもある。海外の物や嗜好品だけでなく国内の物、取り扱いが無かった物についても、この見世のお陰で幅広く扱うようになってきた。

「遠慮なく使ってるみたいだな。今はこの見世だけの話だけど、いずれはこれが当たり前になる。」
ふっと笑う。良い情報収集になっていた。確認が終わると、帳簿閉じて袖下に仕舞い御者の席に座る。
「じゃあ、頼んだよ。春花さん。」
待ってくれていた薄い栗毛馬の春花に声を掛けると、ゆらゆらと尻尾を揺らし、手綱を握るとゆっくりと歩き始める。大変大らかで賢いウチの看板馬である。

しばらく揺られていると遊郭地区へと入っていく。今日は青空が抜けるように広く、少し暑いくらいだ。夏の雲も見てとれる。
遊郭地区の桜はすでに新緑に染まっていて初めて遊郭に入った時の華やかさはなかった。
「来年は2人で桜を見て歩ければいいな。」
1人つぶやきながら、花房屋の敷地内へと入っていく。

「ご苦労様ですー!おや!東屋の若様でないですか!これはこれは若様が運んで下さったので?」
店の若い衆がバタバタと近寄り挨拶をしてくれる。
「いつもお世話になっています。今日の荷物です。温かくなってきましたので早く中へ運んでしまいましょう。」
にこにこと馬車から降りると伝票を渡して、荷物を下ろし始める。
「あー!若様!俺たちがやるんで!大丈夫ですから!今、他のもんが番頭さ呼んでますから、少々お待ちください!」
手にした木箱も取り上げられ、見世の中に押し込まれてしまう。
「あ、春花に水をあげておいて下さい。今日は暑いので。」
若い衆に頼むと、あー馬の事かと分かってくれて、快諾してくれた。玄関の一角に座ると汗を拭う。思ったより暑い。
「東谷さま、お久しぶりでございますね。暑かったでしょう?。」
番頭が奥から慌てて現れた。
「良かったら少し休んで行かれて下さい。夜霧も降りてきておりますし。」
ちらりと番頭が横を見ると、高人さんが隙間からじっと見ている。

可愛い。人見知りの猫みたいだ。
早く抱きしめてあげたいのだが、なぜあんな警戒しているのだろう。

「たか…夜霧さん、お久しぶりですね。」
警戒されたって好きな事に変わり無い。幸せでついつい顔を綻ばせてしまう。

「夜霧、お部屋に案内してお相手をお願いします。」
番頭に言われ、一瞬尻込みしている。

あれ?

「東谷さま、こちらです。」
高人さんの後ろに付いて歩くが、なんとなく距離がある。急に心配になる。

「高人さん、何かありましたか?」

人気が無くなったころに肩を掴み引き止める。
触れた瞬間ビクッと肩が揺れ足が止まる。その拒絶に胸がチリリと痛む。

「…」
なに?どうしたの?
「高人さん?…俺がこわくなった?」
すると、ふるふると頭を振る。ゆっくり振り返る高人さんは涙目だ。
ビクッとする。
「俺が原因でないなら、抱きしめてもいいですか?」
顔を覗き込み涙を拭ってやると、こくっと頷いてくれたので、ぎゅっと抱きしめた。

「お部屋に行きましょう。大丈夫ですから。」
「…」
心配で心配で堪らない。ちらりと襟元から、薄く赤黒い痣が見えて眉を顰める。

…なんで…。

部屋に入ると襖をパタンと閉めて、ゆっくり座らせると、高人さんの横に座る。
「高人さん、抱きしめますよ?」
優しく声を掛けて、ゆっくりと引き寄せて優しく抱きしめる。
「怖がらなくて大丈夫です。何もしません。」
ポンポンと背中を叩いてやると、少し緊張が解けてきたのか身を寄せてくれた。

「あ、東谷さま…」
「高人さん、チュン太って呼んで欲しい。あと、敬語は嫌です。前みたいにお願いします。」
甘えるように擦り寄り、可愛らしく言う。少しでも緊張を解してあげたい。
「チュン太…その、こんな接客でごめん。」
チュン太って呼んでもらえて、満面の笑みになってしまう。
「接客なんていいです。名前呼んでくれたらそれだけで幸せです♡」
背中をさすってはポンポンと叩く。子供をあやすように。

大丈夫です。何もしないですよ。安心して。

「少しは落ち着きましたか?」
チラリと顔を見ると、ほわっとしてる。それがまた可愛くて可愛くて思わずふふと笑ってしまう。

彼の反応や首筋の跡を見るからに、俺に高人さんを取られる事を恐れての仕込みだろう。
こんなに怖がらせて。ちょっと許せないな。

「俺は、高人さんが承諾しない事はしません。契約書を交わしましょうか。口だけじゃ拘束力無いですし。」
袖下から帳簿と万年筆を取り出すと、帳簿の、何も書いてないページをシュッと切り取った。

「高人さん、ちょっと机借りますね?」

サラサラと無地の紙に契約内容を書き記していく。
最後に、名前を書いて親指を小刀で軽く切り、血判を押す。
「ちょ、チュン太…指、」
「大丈夫ですよ♡はい、出来ましたよ。後は貴方の名前を書いて下さい。」
ペロリと指を舐めながら、万年筆を渡す。
「このペン凄いな!綺麗だし。筆と違うな!」
ちょっと興奮気味に名前を書いている。文房具に興味がある…と。また新しい事を知ってしまった。幸せで目を細める。
「欲しかったらあげますよ。」
貴方が俺の物を持っていてくれるのはとても嬉しい事だ。
「え、いいのか?」
「ええ、勿論です。俺だと思って大切にして下さいね」
「ありがとう。大切にする。」
嬉しそうに笑ってくれている。今はこの笑顔だけで十分だ。
「さて、高人さんも血判押しますよ。」
「え⁈」
「当たり前。本人だっていう証明ですからね。やったげますから指出して?」
にこりと笑って催促すると、びくびくしながら、しなやかな指を差し出してくる。
「ちょっとだけチクっとしますよ。」
「…んッ」
プツっと刃先を刺すと高人さんがビクッとする。

「…―、こんなものかな、ここにぎゅっと押して?」
高人さんは恐る恐る紙に指を押し付ける。

「できた。できたぞチュン太。」

「はい。この紙は高人さんが持っていて下さいね。無くさないように大切にしてください?」
高人さんが、署名した後に契約内容を確認している。
普通は署名する前に確認してくださいね〜。とニコニコ笑いながら思う。まぁ、不利な契約なぞ結ばれたら、結ばせた奴と一緒に闇に葬るだけだが。

「ちゅ、チュン太?東谷准太が契約違反した場合は金貨で500万支払うって…」
どういうことだ…?と慌てている。ふふ。
「貴方に不利な文言は無いはずです。」
にっこりと笑って言うと、「お前なぁ…」と、呆れたように俺をみてくる。
「これで、俺は貴方には絶対に逆らえませんね。安心して下さい。」
がっちりと首輪がついてしまった。
残念ではあるけれど、毎回確認を取るのも高人さんの羞恥心を煽れて楽しいだろう。確認なんて取らなくて良いくらい高人さんから求めて貰えるように頑張ろう。
今は笑ってくれればそれでいいのだ。出し惜しみなどしない。

高人さんは俺の万年筆をクルクルと回して観察している。
茶色の同軸の一部分とキャップに波模様と鷺の繊細な細工が施されているので見ていて飽きないのだろう。

「高人さん、」
そんな万年筆ばかり見ていると万年筆に嫉妬しそうだ。

「あ、すまん。どうした?」
きょとんとこちらを見てくる。先程までの不安は無いようだ。
「頭撫でてもいいですか?」
高人さんの顔を覗き込む。すると、高人さんが恥ずかしそうに顔を背けた。
「その、、頭撫でるとか、だ…抱きしめるとか…許可いらない…。それ以上は…その…恥ずかしいから…」
ボソボソと言う高人さんが可愛くて、ぎゅっと抱きしめて、艶やかな黒髪を撫でる。
「ありがとうございます♡」
極上の笑顔で礼を言った。
大好きですよ。高人さん。

「失礼致します。お飲み物をお持ちしましたよ〜。」
番頭自らが運んでいる所を見ると、禿では入れない雰囲気だったのだろう。それは悪い事をしたな。
お陰で高人さんの機嫌は直ったので、まぁ許して欲しい。

「ありがとうございます。」
礼を言っていると、高人さんが受け取って持ってきてくれる。
「ではごゆっくり。」
番頭さんもなんだか嬉しそうに笑いながらすっと去っていく。
「チュン太、氷だ!冷たい紅茶!」
渡してくれたガラスコップの中でカラカラと鳴る氷と紅茶が揺れている。この季節に氷はとても貴重だ。大きな見世だからこそか。

一口飲むと心地良い冷たさが喉を潤し、紅茶の香りが鼻を抜けていく。
「美味しいですね。」
高人さんも嬉しそうに飲んでいる。可愛い。
「高人さん、その、そろそろ帰らなければならないのですが、帰る前に、口付け…しても…いいですか?」
ダメなら、抱き締めて帰ろう。
高人さんは少しだけ、目を逸らし、けれど意を決したように俺に向き直る。
「チュン太なら、いい。」
その言葉が嬉しくてぎゅっと抱きしめる。嬉しい。大好き。
「高人さん少しだけ口開いて、、」
言われた通りに唇が開かれると、少しだけ紅茶を口に含んで口付ける。ゆっくりと口移しで紅茶を流し込んでやると、高人さんはコクリと飲み下す。そのまま、紅茶の香りが鼻を抜ける間だけ…と自分を戒めて、貪るように舌を絡めてちゅっちゅっと吸い付いた。
「はふ…んっン」
口の端から唾液が垂れている事すら、高人さんは気付いていない。気持ち良さそうに口付けに応えてくれていて嬉しいのだが、紅茶の香りが消えたのでお終いだ。唇を離すと銀糸が糸を引く。
「…はっ…。高人さん、また来ます。」

「ん、そこまで送る…チュン太ありがとう」
ふわりと笑ってくれる。
「見送りされると離れ難いので、そこから見ていてくれませんか?」

窓辺を指差すと、高人さんはこくりと頷いてくれた。

馬車に乗り込むと、見世の3階にある部屋から手を振る高人さんの姿を見る。手には万年筆が大切そうに握られている。

「また来ますね。」
そう小さく言うと遊郭地区を離れて行った。

許せない。邪魔をされた事もだが、あんなに怯えさせるなんて。
「綾木千広。」
監視対象だ。身辺調査と取引相手の調査。
店の事で手が離せないほどに転がしてやろう。これ以上邪魔されないように。

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