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京都コムニタスの必修の授業③ー思考磨きはエラーチェックから

皆さん
こんにちは。
心理系大学院受験専門塾 京都コムニタス塾長の井上です。

ただいま、京都コムニタスの必修の授業の全貌を述べています。
第1回

第2回

前回は適性磨きについて述べました。
心理系大学院受験をする場合、相手方、つまり大学の先生方が見るのは、受験する人たちの適性になります。しかし、実際は「適性がある」ということを見抜くというよりは、「適性がない」人を落とす意味が強くなりますので、相手にそのように思われない自分を作っておくことが重要です。

また、適性は面接で見られるわけですが、面接の場面で、どこに反映されるかというと、「感情」になります。私はREBTを使って思考のチェックします。REBTの理屈に沿えば、感情は思考(ビリーフ)が発生源です。そのため、感情を見れば、その人の考え方も見えるということになります。となると、少なくとも面接会場では、不適切な感情は出さないようにしないといけないのですが、感情はそんなに簡単ではなく、思考を整えない限り、勝手に発生してしまいますし、情動知能(Emotional Intelligence)が高くないと、その感情の知覚もコントロールもできず、気づかないうちに、相手に見切りをつけられてしまうということは、実は面接あるあるなのです。
ということで、必修では、思考を整えておかねばならないということで、思考磨きのトピックに移ります。思考磨きは、思考のエラーチェックから始まります。

思考のエラーチェックとは

アルバート・エリスが創始したREBT(Rational Emotive Behavior Therapy)によれば、不安は不健康でネガティブな感情で、それはイラショナルビリーフを原因とします。セラピーであれば、自滅的な行動を伴うことを重視します。このイラショナルビリーフは思考のエラーですので、これを形にして、その形を変えにかかります。それによって不安も形を変えるという理屈です。京都コムニタスでは、ますはこの思考のエラーチェックから始めて、不安などの感情への認識を高め、感情を変えるという作業を積み重ねていくことから、自分作りを始めていきます。
REBTを専門的に学びたい方は日本人生哲学感情心理学会で学ぶことができます。


エラーチェックのトピックでは、やるべきことはたくさんあるのですが、まずは、「おかしいものはおかしい」と言えることが重要です。間違っていることに気づくのは、それほど難しいことではないありません。

例えば、論文の中に「謎の○○支持者が出現した」なんてことを書いたら、その人の知性が問われます。「誰やねん」ってツッコまれるでしょう。「出現した」と言い切るからには、当然、「謎」であってはいけません。今時のテレビ番組は、そういったことが大半なので、よい子は見てはいけないものですが、研究者は、謎があるなら、それを解き明かすのが仕事です。証明できないことを論文に入れたのでは、全体の証明構造が崩れてしまいます。こういった基本的なことができないと人が、何を書いても、何を言ってもろくなことにはなりません。

だからこそ、そうならないためのエラーチェックです。これをすることで、正しいものは正しい、間違っているものは間違っていると、当たり前のことが言えるようになり、「謎の・・」などといった滑稽なことを言わなくなります。これはとても大事なことです。

例えば、モンスターペアレントなどもそうです。よく考えずにテレビなどのイメージだけで発言してしまうと、小論文や集団討論で、堂々と「私もモンスターに出会ったことがある」などという事例?を出す人もいます。本番でこれをしてしまうと一撃不合格です。この事例には何度も出会いました。

しかし、冷静に考えれば「いやいやモンスターには出会わんでしょ」と素朴なツッコミが入るでしょう。そうです。事実はモンスターなんていません。モンスターと言われる人も、紛れもなく人間です。

思考にエラーがあると、自分の奥底にある(わりと表面化している人もいます)差別心が、気づかざる形で表に出てしまうことが少なくありません。だから、人を人として見ていない発言を堂々としてしまうのです。しかし、不健康な感情に取りつかれてしまうと、多くの人は、学科だけに力を注いでしまい、面接で失敗しているという事例の方が多いということに気づきません。また、自分が面接で何を言ったのか覚えておらず、「まぁ、何とか、和やかだったし、大丈夫でしょう」と漠然と考えがちですが、実は決定的な一打を打ってしまっていたということもよくあります。こういった人は、反省しようにも、そもそも反省ができないのです。だから、敗因は「単語力」と安易に考えがちです。

論理的なものを扱う際に、最も忌み嫌われるのが差別、偏見です。これは最悪の部類です。人を軽視して、相手の人物像に興味がないと、こういった現象が簡単に起こり得てしまうのです。差別をしてしまっている自分に気づき、それを正していくことは非常に重要なことです。あまりこういったエラーを放置しすぎるのは、あらゆる局面でよくありません。

大学院に行く人はこういったことを言わない、あるいは思っても、少し慎重になって発言する自分を先に作っておき、その上でできる限り正しいものを追求できる頭と身体を作っていく必要があり、そのために自分を磨いていきます。
この意味で、エラーチェックは非常に重要で、一番最初にすべきことなのです。

まずは自分の感情への意識を高めて知覚する

自分の中にあるエラーは、思考と身体の使い方にあります。
思考のエラーは、様々あるのですが、少なくとも例えば「誰がどこから見ていて、何を言われているかわからない。だから・・・」とこんな考え方を根拠にしてしまっていると何らかのエラーがあると見ていいでしょう。

思考にはクセがあって、不思議と、わざわざ自分を追い込む方向に考えてしまうクセがついてしまっている人は、たくさんいます。この状態で新しい勉強を始めても効率が悪くなります。

スタートラインは、まず自分の中にある不安や怒りなど「不健康でネガティブな感情」に気づくことです。「ムカつく」「全部あいつが悪い」「すべてあの人のせい」「何で自分がこんなことしないといけないのか」、こんな言葉が頭をよぎったら、少なくともチェックしておきましょう。こういった感情にまずは素直に向き合うことが、初動段階で必要です。

これに対して、「気づけない」「どうしようもない」「恥ずかしい」、ヘタをすると「そんな自分が嫌」とさらに上塗りするかのように、別の感情をかぶせてしまうと、より複雑化します。その意味で、まず今自分がどんな感情を抱えているか、その感情を生み出している不合理な信念(思い込み)はどんなものか、こういったものを形にすることで、次のステージに進むことができます。できれば、この「不健康でネガティブな感情」を「健康でネガティブな感情」に変えるのがREBTの要諦ですが、これは結構難しい作業です。元々できる人もいますが、ごくわずかです。

こんなことしてはダメよ集

以上を習得するために必修の授業では、まず「こんなことしてはダメよ集」を行います。これは、基本的には自分のエラーチェックです。自分が日常、どんな言葉を使っているか、あるいは他者の言葉をどう読んでいるかをしっかりチェックしておきたいところです。
例えば研究計画で
「人間が生きていく上でこころの存在はとても大きい」
などと書きだしてしまうと、最初から意味不明です。こういう文章を見て「おかしい」→「どこがどうおかしい?」→「(ツッコミ後)ここがおかしい」→「どうすればいい?」→「修正」
このような流れを身につけるようにしています。

日本語は接続詞で論理構成を維持しますので、最初からエラーをしてしまうとあとから修正をかけるのが難しくなります。だから
「人間が生きていく上でこころの存在はとても大きい。だから・・・・」
と続けていくと、あと何を書いても妙な文章になってしまうのです。
一文、一文丁寧に積み上げていくためにも、極力エラーを減らしていくことが大切なことです。

批判的受容ー鵜呑みにせず、否定せず、ほんまかいなと思いながら受容

このように必修の授業では、プロを名乗る人が書いた手に負えないほどひどい文章を批判的に読んでもらい、どこがどうおかしいか、検証してみます。そうすることで、情報を
「鵜呑みにしない、だからといって、読まずに否定しない」
といった状況が生まれます。その上で
「批判的ではあるが受容する」
といった姿勢になっていくようにしていきます。この批判的受容が自分の書いた文章や、自分自身の日常会話の言葉においてできるようになってくれば、今度はいわゆる「良い文章」を「批判的受容」のもとに読んでもらう作業に移ります。その目線で、時事問題などを読めば、また今までとは異なった観点で読んだり、向き合ったりすることができるようになってきます。

身体のエラーも知っておきましょう


もう一つは身体の使い方です。これについてはまず自分が身体をどう使っているかということに対する気づきを得るところから始めます。
日常的に自分が自分の骨をどう使っているかを意識して生活している人はほとんどいません。受験で不合格になったりすると、本人は意識はしていないのですが、背中が丸くなり、肩がすくんでしまっている場合が多いです。そうなると声も出なくなりますし、気分も沈んでいき、せっかく処理した「不健康でネガティブな感情」が復活し、「もうダメだ・・・・」こんな悪循環を私はたくさん見てきました。身体を自分がどのように使っているか、姿勢や座り方に問題はないか猫背になったら、無理に伸ばしていないか、どんな歩き方をしているか。こういったことに完璧はありません。完璧な姿勢とか歩き方などそもそもないのです。その点に気づき、完璧やら正しいだけを求めるのではなく、日々のエラーに気づこうとし、それを少しずつ改善しようとする意識を作ることが目指すところです。