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「多様性」と「多文化共生」について

近年、「多様性」と「多文化共生」について関心の高まりとともに、各地域の政策に取り込まれたりしているが、意味を取り違えて誤用されたり、政治的に悪用されるケースが散見されるので、今ここで認識を改めて共有するために定義しなおしてみたい。

 まず、「多様性」について。たとえば、日本人と外国人の違いとは何か。もちろん国籍が違うということであるが、その国籍に由来するのは、それぞれが属する国家の権利を保有しているかどうかである。つまり、日本国民としての権利を保有しているのが日本人であって、日本国民としての権利を保有していないのが外国人である。したがって、外国人に日本人と同じ権利を付与すれば、それは外国人と日本人が対等となり、日本人が優位性を失って多様性が失われる。大切なのは権利の有無によって差別されないことであって、国籍を問わず権利を付与することではない。そこを誤解して誤用することは許されない。

 続いて、「多文化共生」について。ある一つの地域に、より多くの文化が共生し、相互に交流することで新たな価値を創造することは、素晴らしいことであることに間違いない。しかしながら、その地域に軸となる文化が存在し、その担い手となる国民が権利を保有し、その優位性でもって他の文化と交流する形でなければ、多文化共生は成立しない。その地域が、どの国家に属し、誰が自国文化の主な担い手になっているかが重要なのであって、他の文化の担い手に、主要な担い手と同等の権利が付与されれば、多文化ではなく一つの文化にまとまってゆく。つまり、多文化共生ではなく一文化集約という意味合いになる。

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