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私のこれまでの野球史part2

みなさん、こんばんは!

本日は私の高校時代の野球史について書いていきます!

高校から硬式野球をスタートしました!楽しみと不安の高校野球人生の幕開けです⚾️

高校は東京都町田市にある日本大学第三高等学校に行くことになりました。少年野球、中学野球と主軸でプレーさせてもらったこともあり、ある程度の自信を胸に高校野球に飛び込みましたが、その自信は、練習初日に崩れ去りました!先輩たちのプレーの強さ、早さはもちろんのこと、同級生なのに自分とは比べものにならないくらい実力があるとすぐに感じとれ、背筋が伸びたことを思い出します!のちにそのずば抜けた力を早くから発揮していた横尾俊建(日本ハムファイターズ)と高山俊(阪神タイガース)は大学を経て、NPBのプロ野球の道へと進むことになります!

高校1年間はまさに下積み期間!試合に出るレベルではなく、ひたすらグラウンドや室内練習場で練習した覚えがあります。きっかけは高校2年生の春。Bチームで指揮する三木コーチ(現在は部長)にBチームのキャプテンに指名していただき、プレーできる喜び、チームへの気配り、声かけなど沢山のことを学ぶことができました。

新チームになると、私の肘が限界にきており、「離断性骨軟骨炎」を発症し手術する経験をしました。体を不自由なく使えることの幸せを噛みしめる日々でした。医師、そして理学療法士さんに献身的に診ていただき、いまでは手術したことを忘れるくらい肘は絶好調です✨菅谷医師、中山さん、仲島さん本当にありがとうございます😌

新チームからは「寮長」という役職もつけていただき、高校野球ラスト1年は、がむしゃらに突き進みました!明治神宮大会はベンチ入りしたものの、春の選抜高等学校野球大会ではベンチを外れ、スコアラーも経験しました。スコアラーを通して、相手チームを、相手投手をどのように攻略できるか、どうすれば有利に試合を進められるかなど、データ班と話し合った時間は鮮明に覚えています。

その後、行われた東京都春季大会では、メンバー入りさせていただき、その大会でチームは優勝、個人としても結果を残すことができて、それ以降の大会もなんとかメンバー入りを継続でき、頼もしいチームメイトとともにプレーする喜びを感じることができました。

全国高等学校野球選手権大会では、たくさんの方々のお力添えと、様々な方面からの応援でパワーをいただきながら優勝🏅をすることができました。満員御礼の甲子園のフィールドに立ち、感じたことのない感情や雰囲気を味わうことが出来たことは私にとって大きな財産です。 

毎日コツコツやり続け、成長していくことを学び、ひとつのことをやるには、その裏で想像以上の方々が関わっていることを知り、プレーはもちろんのこと、相手を思いやること、大切にし出来ることの重要性を理解しました。

次回はpart3として大学野球編を書かせていただきます。


埼玉武蔵ヒートベアーズ

背番号3

宮之原健


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