いい時間とわるい時間
時間について考えることが多くなった。
きっかけは、会社員だったときの職場の先輩との会話。
「最近、メールやチャットばかりの毎日で時間に追われてる気がする。前は手紙だったからもっと時間があったのに。」
人事部の先輩。連絡を急かされる毎日に疑問を抱いていた。わたしも新しい部署に異動したタイミングで、以前の部署に比べ、メールやチャットそして会議に追われるようになり、似たような疲労感をもっていた。
明日に返信しようとしても、チャットの嵐が怒涛のようにやってくる。そして最近のチャットはよく出来ている。チャットが届いたときに、会議が入っていないことが相手に分かるようになり、急ぎのときは電話までとんできた。
もちろん、これは必要だから連絡がきている。設計の仕事をしていたから、工場との連携が欠かせなかった。
便利になるのはいいことだろう。
なにかをするのにかかっていた時間がギュッと圧縮される。空いた時間が増えて色々なことができる。生産性が上がり利益をより追求できるようになる。
とはいえ、わたし一個人としては、その空いた時間に「メールやチャット漬けになりたいのか」「生産性をあげたいのか」は疑問だったりする。
いい時間ってなんだろうなと考えることが増えた。
*
時間の使い方。
いい時間もあればわるい時間もある。
わるい時間から考えてみよう。
パッと思いつくのは、気が乗らないな、嫌だなと思うことに時間を使ったとき。
気が乗らないのに、断るのが面倒な飲み会に参加したとき。イマイチな誘いはやっぱりイマイチな感じで終わる。
わるい条件で仕事を受けたときも、わるい時間になる。
目先のお金という理由で仕事を受けたが、モチベーションも上がらないし、わたしが出せた結果はイマイチなものだった。
あ、そうだ。
悪い時間の使い方だったな、と思うことに、学生時代の恋愛がある。
初めて恋人ができたのは遅く、25歳のときだった。
それまで恋愛はしていたけれど、実ることはなく玉砕していた。
ひょんなことから恋が実り付き合うことになった。けれど、その恋愛は2週間で儚くも散ってしまう。
あまりの短さにショックを覚え、周りの友人に愚痴をいいまわっていた。
その時、大学の友人にかけられた言葉が、
「彼氏ほしかったの?」
だ。
「あたりまえじゃん!」
と返したものの、思い返してみると、彼氏がほしいと周りに言ったことはなかった。
学生時代は、工学部だったので男子学生ばかり。紹介してくれるチャンスは多かったハズなのに、一度も彼氏がほしいと言わなかった。
理由は単純で、恥ずかしかったからだ。
でも、一度周りにぶちまけてからは、恥ずかしい気持ちは飛んでいき、周りにも「彼氏が欲しい」と言っていた。
そのあとは、友人に紹介をしてもらい、今までのはなんだったのかというくらい、とんとん拍子に彼氏ができた。
そんなわけで、
欲しいものを欲しいと言わず、行動にうつさず、ただ待つだけだった日々。
これが、わたしにとっての悪い時間だと思う。
*
じゃあ、いい時間はなにかと考えると、
わるい時間の反対で、行動にうつしたときだと思う。
なんかいいなと思う人と会ってみたり、
仕事をやめて海外に長期間行ってみたり、
仕事が合わないと辞めたけれど、会社で働いたことだっていい時間だ。
働いてみて初めて、合わなかったんだな、と納得して辞めることができた。6年という歳月を会社で過ごしたけれど、その時間を無駄だとは思わないし、気の合う友人もできたのでいい時間だったと思う。
欲があって行動にうつす。それが失敗であれ成功であれ、どんな結果でも、自分で決めたことであればいい時間じゃないかなと思う。
いい時間は挑戦することばかりじゃない。
わたしはリラックスした時間が好きだ。
森のなかを散歩したり、ヨガをやって体調を整えるのも好きな時間だ。猫とお昼寝する、生産性ゼロの時間だって充実したものだ。
結局のところ、納得していれば、自分で決めていれば、それは全ていい時間になるんじゃないかなと思う。
いい時間が増えるように意識したい。
明日は何をしようかな。
お読みいただき、ありがとうございます。
次の記事でお会いしましょう。
またねー!
よろしければサポートお願いいたします(^^)頂いたサポートは、新しい学びの資金にさせていただきます。