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なんで、書いてるの? アップデート版

以前に「なぜ書くのか」についてを書いたことあります。

この記事の内容を一言でまとめると「承認欲求」です笑。

今も変わらないんですが、「あ、他にもある!」とアップデートされたので、改訂版を書いてみます。


今でこそ、noteで文章を書いていますが、以前は文章を書くことにかなりの抵抗感がありました。

そのはじまりは、みなさん一度は書いたことのある「読書感想文」。

本を読むことは苦ではないものの、その感想を書こうとするとピタリと手が止まる。

よかったです。

感動しました。

泣きました。

10文字にも満たない言葉。でも、それ以外の感想が浮かばないのです。

作者の表現を褒めればいいのでしょうか。情景が思い浮かぶかのような表現、とか。
いえ、なんか違いますよね。

本の内容をわかりやすくまとめるのも、感想ではないし。

何を書けばいいんだ〜!

と悩んだあげく、読書感想文を提出しないのが常でした。


幼少期の苦手意識を抱えたまま時間は過ぎて、ひょんなことからnoteでエッセイなどを書くようになりました。最初は、感想ではなく本の要約をしていましたが、いつしか読書感想文までも書いていました。

「あれ?苦手意識を持っていた感想文が書けている」

ある日の気づき。

本数は多くないものの、何本か読書感想文の記事を書いています。

何をしているのか、改めて眺めてみると、

「胸に響いた文章を掴んで、なぜ響いたかを言葉にする」

を、していました。

エッセイを書く要領とほとんど一緒です。
「日常のなかで響いた出来事を言葉にする」をエッセイを書くときはしています。


読書感想文を書けるようになったと気がついたとき、ちょうど読んでいた小説があります。

線は、僕を描く(砥上 裕將)

大学生の青山霜介が、水墨画に出会いのめり込んでいく物語。霜介の繊細な感性に切なさも覚えます。

この本の最後の方で、たくさんの水墨画に囲まれながら、

書き手の感性に触れて、響きあって豊かになる

という内容があります。


ものすごく共感したのを覚えています。

わたしは美術館にいくのが好きです。気に入った絵の前では、つい足が止まり見入ってしまいます。

先日も、大きな湖の絵画に圧倒され見入ってしまいました。

この感情はうまく言葉にできません。

作者の背景や絵画の解説は、あまり関係ないんですよね。

ただ、絵画から感じるものがある。
それを全身で感じとる。

共鳴しているともいうのかな。
これが、とても幸せな時間なんです。



書くことも同だなと思います。

本のなかで、日々の生活のなかで、響いたことを書きとめる。それが誰かの感情に響くこともある。

読むことも同じです。

文章を受けとって、それが心を震わせる。


noteの街は書き手の感性で溢れています。
まるで壁一面を絵画で覆われているように、文章に囲まれています。

書く、読む、そして響き合う。

それって、とても豊かなことだと思うんです。

書くことは、豊かなこと。

今日も、すり抜けていきそうな感性の波を追いかけて、言葉を紡いでいく。


お読みいただき、ありがとうございます。
次の記事でお会いしましょう。

またねー!






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