ネットの炎上と匿名性の破壊との関係

Facebook、あれ今更ですけど、すごいですよね。まず、実名制。実名じゃない人もいるけど、すごいネットを進化させた。

ところで、ちょっと思ったんですが、ネットってLINEのオープンチャットの荒らしの問題とか、ケンカじゃないけど、炎上したり、あまり馴れ合わない、仲良くしない方がいいんですよね。仲良くすると、いい人ってことで、認識がそこで終わってしまうという閉塞感(?)がある。

逆に、なんか引っかかるというか、こいつ気に食わないくらいの方が、認知しやすいんですよ。ネットの社会では。

ネットで人が死ぬでしょうか?自殺者は出るかもしれない。自殺者を防ぐために、やっぱりことなかれ主義で、みんな仲良く、いい子でいた方がいいのか。それは、でも、実社会の成り行きには反してますね。実社会はそこまで共産制はない。能力至上主義社会ですからね、どんどんその方向に進みつつある。

何が原因なのかわからないけれど、要するにバランスなのか。二本の手綱をしっかりとコントロールして、時には炎上し、日常的には平穏に、という事で良いのか。でも、それは僕にはとても良い事とは思えませんね。

もう、後戻りしても、意味がないような気がする。逼迫している状況。誰もが、困ってます。現状を打破できないといったような苦しみを日常的に感じています。

さあ、飯ができた。美味そうだ、一枚写真をパシャリ。誰にも迷惑をかけていません。でも、それって、何か意味あることなのか……。お店の宣伝とかには良いって?それはあるかもしれない。でも、これだけ高性能なテクノロジーの成果の利用法としては、それだけでは寂しすぎる感じがする。

僕が常々、左脳で感じている、閉塞感の原因は、これだったんです。常に仲良くじゃいけなかったんです。時には、怒りというか、ネットの言葉でいうと、炎上が必要だったんです。ネットというのは、免状すら持たない管理者が管理する、危険物置き場みたいなものだ、と思うのです。

ネット社会、炎上なくして、進化なし。今日、僕が言いたかった、たどり着いた一つの結論はこれです。

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