2-2.奔流


 タイに到着した日、俺は情報収集もかねてショッピングモールに赴き、LOFTで財布を見つけた。
俺が見たのはグローバル市場における消費主義の、津波のような怒涛の流れだった。
それは確かに俺を、現代文明に対して無垢なタイ人たちを、世界の現代人たちを巻き込み、連れ去っていた。
そしていつか地球上に、現代人以外の人々は確かにいなくなるだろうと予感させた。

 まだ新しいスカイトレインや地下鉄に乗るとき、駅に一歩踏み込んだところから包囲は始まっている。
目の前に見えるのはイングランドサッカー二部(!)リーグのチーム、レスタータイガースのアンテナショップである。
ほんの一月前までブラジルワールドカップが行われていたこの地球において、バンコクの高架のプラットフォームに立った俺の陽射しをよける屋根を支えている数々の柱に大きく描かれているのがジャック・ウィルシャー(イングランド)、ダビド・ルイス(ブラジル)、セルヒオ・アグエロ(アルゼンチン)、セルヒオ・ラモス(スペイン)といったサッカー選手達の顔だとしても、なんの不思議もない。

 向かいのプラットフォームの屋根にはこちらのプラットフォームに向けたディスプレイが設置してあり、音声付の動画で広告を流している。
線路への転落を防ぐシャッタードアにさえディスプレイが埋め込まれ、上方のディスプレイと連動した動画で広告が流されている。
その広告は柱のサッカー選手と対応したペプシの広告であったり、H.I.S.の流す日本旅行の広告だったりする。
そして滑り込んでくる電車の車体には化粧品の広告が一面に貼られており、そこにはKATE Tokyoの文字。
車内に踏み込んで最初に目に入る、ドアの上の広告はISUZUの新型車。
これら日系企業の広告を見るときに俺が感じる心地よさは、日系企業で働く自分が「買う」側でなく「売る」側に属しているという感覚。
それは一種の勝利の感覚を意味する。
消費する側でなく、生産する側にいるという感覚。
ここでいう生産とは、商品の生産ではない。
商品は日本では生産されない。
日本で生産されるのは、生活における意味や物語である。
地球上のほぼすべての人は、外国のある一部で生産された意味や物語に焦がれながら、それに近づこうと努力する事で明日への渇望を得て今日を暮らしている。

 ショッピングモールへと出かける電車へ乗るだけでこの有様だ。
ショッピングモールの内部といえば、もっとさりげない趣向が凝らしてある。
入り口に設置された金属センサー型のゲートと警備員は、この消費の空間を破壊しようとする意志を持つものがどこかに存在していることを示唆している。
現代文明を敵に回そうとする勢力が、何を人質に取るべきかをわかっているということだ。
そしてショッピングモールの内部ではあらゆる手練手管、硬軟織り交ぜた刺激が俺の全身を突き刺し、もはや自分でもそれと気づく間もないほどに買い物への意欲を刺激される仕掛けが、たとえば建物や廊下の構造自体だとか、ウィンドウや棚の作り方だとか、音楽だとか匂いだとか、いたるところに仕掛けられている。
その執念のすさまじさを俺が痛感したのは、用を足そうと入ったトイレの壁面までが映像ディスプレイになっているのを見たときだった。
トイレで動画にさらされるというのは、日本ではまだお目にかからない事態だった。


 その日、財布とチェーンを手に入れた俺は地下鉄に乗って、世界に名だたるバンコクの名物、ウィークエンドマーケットに行った。
そう、またも買い物。
タイという国は売るべきもの、買うべきもので溢れている。
そのマーケットの一角に、マンゴーともち米を一緒に食わせる屋台があった。
歩きつかれて腹が減り、甘いものが食べたくなった俺は、その屋台の前にできた短い列に並んだ。
自分の目の前に並んでいた若い女のコが買う様子を、俺は改めて見ていた。
外国でモノを買う時というのは、自分より前の人が買う時に何が起こるのかを見ておきたいものだ。
見てみると、その食べ物はマンゴーともち米が盛られた皿の上にたっぷりの白いココナッツ系の糖蜜をかけて食べるものであり、その女のコが盛られているところを見るに糖蜜があまりにも多い。
俺は歩きつかれて喉も渇いていたので、あまり甘すぎるものを食べる気分ではなかった。
それで俺は自分が買う番になると、糖蜜を控えめにしてくれと、店の人に英語と身振りで伝えた。
それを俺は店の向かい側にあるベンチに腰掛けて食べた。
俺の分について、店員は確かに糖蜜を比較的に少なめにかけてくれたとはいえ、それでもなお、俺の期待よりも少し甘すぎた。
手加減無しにかけられたあの女のコはどれほどのものだろうと思い、隣に座って食べていたその女のコに俺は声をかけた。
「それ、たぶんめっちゃ甘いっすよね」。

 そう、その女のコは日本人だった。
別にそれと示す証拠を見たわけではなかったけれど、俺はほぼ百パーセントの確信をもって、声をかけた。
それが文化というものだ。文化とは言語や服装や料理にのみ、形として現れるものではない。
同じTシャツとジーンズを身に着けて同じものを食べていたとしても、裾や肩に現れる些細な着こなしの違い、あるいは椅子への腰のかけ方やスプーンの使い方、眉や頬の筋肉を定着させる位置、それらの身のこなしのすべてに、ある時間と空間を共有して言葉や言葉以外の何かを交換し続けた一群の人々が共通して身に付けるニュアンスがある。
そして我々東アジアの民はヨーロッパ人やアフリカ人には出来ないやり方で、日本人と中国人と韓国人の区別をつける。

 案の定、その女のコは日本人旅行者だった。
俺も俺とて、その女のコも一人だったから、俺と彼女はその後の行動を共にした。
マーケットをもう一回りした後、市内まで同じ地下鉄で帰ってきて、ビジネスビルの中にある小奇麗なタイ料理屋(屋台で食べる料理の十倍以上も値段がかかるような)で夕食を食べて、そのまま別れた。
その女のコは大阪から来ていたから、もう二度と会うこともないだろうと思った。
その夜、歩き疲れて一人でホテルのベッドに入り、翌日の予定を頭の中で確認しながら、このタイ国ライフにおいて、俺の意志次第で何ができるかについて、思いをめぐらせた。

書く力になります、ありがとうございますmm