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2-8.押し倒す(lay you down)


 ホテルの部屋でナツミちゃんを押し倒した時、俺は自分が何をしているのか完全に理解していた。
それと同時に、期待と不安で張り裂けそうだった。
俺のホテルの部屋のベッドに並んで腰掛け、腹がくちくなった事に少し倦怠の入り混じった満足を覚えながら、二人でMTV Chinaをぼんやりと眺めていた。
それはとてもふさわしいタイミングだという事を、俺は間違いなく心得ていた。
というのは、食後に現れるようなのんびりした気だるさは、すべての行為の意味を薄らげ、こまかいことに頓着させなくさせるから。

 俺はナツミちゃんのピアスが昨日と違っている事を指摘し、「可愛いよね」と褒めながら耳たぶをさわった。
ナツミちゃんはそれほどこだわりもなくお礼を言いながら、香港の色白美人のシンガーソングライターが小樽や函館からパリに向けて歌う切ないミュージックビデオから目を離さなかった。
やがて俺は彼女の肩を抱きながら、横顔とくびすじに口づけをし、薄く舐めていた。
可愛い女のやわらかい頬をそのように愛撫している時が、俺の人生の中で最も幸福な時間かもしれない。
そこには幼児同士の戯れのように無邪気で他愛無い要素がある。
俺は女の頬に口づけをするのが気持ちよくて嬉しい。
女は俺に口づけをされるのが気持ちよくて嬉しい。
目的とも意味とも結果とも無縁で、ただ触れ合いの行為だけを楽しむ完成された時間がそこにある。
しかしその時の俺には目的があり、結果を求めてもいた。

 俺は彼女の唇に口づけをした。
それは最初の一線を越えることだ。
唇を合わせる事は、秘められた行為だ。
それはナツミちゃんに何かを意識させ、くつろぎをこわばらせるものになる。
それを俺はわかっていた。
彼女に嫌われ、完全に拒絶されてしまうかもしれないと思うと、怖かった。
しかし人生にはそれをしなくてはならない瞬間がある。
俺はその仕事についてよく知っていたから、自分がすべきことを理解していた。
俺は横から彼女の顔を覗き込むような格好で、片手で彼女の頭の後ろを支えながらキスをし、頬と頬をつけた。
女の頬の白くなめらかな冷たさは、俺を潤す。
もう一度、唇をつけた。
ナツミちゃんの吐息が俺の顔にまともにかかるとき、髪やくびすじから香る女の整えられた匂いとは別の、命のこもった熱い脈動が息の中に込められているのを感じた。
ナツミちゃんの長いまつげと二重まぶたに縁取られた瞳はすでに閉じられていた。
俺は彼女の眉間を指で軽く撫でて、すぐにまた唇をつけた。
薄い白いカーテンを透かして大きな窓から挿し込む午後の強い日差しや、外の酷暑とは無関係に坦々と気温を整える空調の絶え間ない静かな音、テレビのMCが軽薄なほどに人懐っこいフランクさでしゃべり続ける英語交じりの中国語、それらの日常の堅実さに囲まれてナツミちゃんの見せる無防備で秘密の姿が俺の胸を熱くさせた。

 鎖骨のすぐ上のところを俺の唇が撫でた時、ナツミちゃんが一瞬息を詰めたのがわかった。
俺が同じ場所にとどまると、彼女の鼻声がついに抑えきれなかったかのように漏れた。
彼女のポイントを一つ、見つけたということだ。
俺はゆっくりと体重をかけ、彼女の体をベッドに横たえた。
少し焦ったように「ちょっと、もうダメ」と彼女は言ったけれど、特に聞く必要があるとも思わなかったので、俺は聞かなかった。
女は、上から体重をかけて抑え込まれるのが好きだ。
顔やくびすじを舐め、上半身をこすりつけ、まるで性器を挿入した後のような動きで腰を合わせつづけると、ナツミちゃんの血行がよくなってきているのがわかった。
ほどなくして彼女の股のあいだに手を置けば、そこが異様に熱くなっているのが、ズボンの上からでもきっとわかることだろう。
当初から俺が期待したとおりに、物事は順調に進んできているのだった。

書く力になります、ありがとうございますmm