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4.ニューヨーク、ニューヨーク


 ブルース・スプリングスティーンとジ・イー・ストリート・バンドが暗がりのステージに登場したとき、前方の観客たちの騒ぎ立てる声に頭の中が真っ白に輝きながら、トシはあまりの期待と興奮に何がなんだかわからなくなっていた。
そして、赤と青のカクテルライトがバンドを眩く照らし出したとき、ステージにそびえ立つバンドはとてつもなく巨大に見えた。
ライブの幕開けを告げる、「バッドランド」のあのイントロ、弾むようなピアノと震えるディーゼルエンジンのようなギターが流れたとき、
トシは突然にあふれて止まらなくなった涙を気にとめず、ただ必死でブルースを視界いっぱいに見つめながら叫んでいた。

 一曲目のイントロからいきなりトップテンションに高まった観衆を前にして、コーラスの終わったところでブルースは挨拶代わりのギタープレイで本物のロックンローラーがそこにいることを簡単に証明してみせ、今夜がどんな夜になるのかを予告した。
それにつづいて、この世界に恐れるものなどないかのような風格で、のっそりとステージにそびえ立った「世界最大の巨人」クラレンス・クレモンズは、会場の屋根を崩して落とすほどに鋭い、破格の音色のサックスソロを間奏にぶち込んだ。
それほど興奮した観衆を前に、それほど鋭い音色を響かせるのは、まるでいっぱいまで熱せられた油の中に、手が切れるほど冷え切った水をぶち込むようなものだ。
ブルースのギターに揚げられていた観客は一人残らずひっくり返り、トシの頭の中で溶けてしまった脳髄もサックスの音色に共鳴して振動してかき混ぜられた。
やっとこさ衝撃から立ち直ってふたたび押し寄せる観客の大合唱に応えるように、バンドはこんなせりふを返した。
「人々のために、心の奥で気づいている人々のために、生きていることを喜ぶのは罪ではないと気づいている人々のために」。

 それからはもう、トシにわかるのはただ、そこにロックがあるということだけだった。
ドラムとベースの磨かれきったリズムの上で、オルガンとサックスは人の心の快感をつかさどる部位を刺激する音を乗せ、ピアノとヴァイオリンは涙が似合うほどに切なく美しいリフレインをくり返し、三本のギターはリズムと炎と鳴き声を混ぜ合わせていた。
ブルースが観客に問い続けるのは、「誰か今そこに生きてるヤツはいるのか?!」という一点だけで、観客は問われるまでも答えるまでもなく、とっくに生きて煮えくりかえっていた。

 その夜、三時間半にわたる公演をとおして、その会場にあふれていたのは、笑顔と、汗と、涙にまみれたお祭り騒ぎだった。
ブルース・スプリングスティーンとジ・イー・ストリート・バンドは、ロックンロールの最も良き側面を、そのままに体現しているバンドだった。
ヒーローでいながら偉くない、興奮しながら乱暴でない、粗野でいながら愚かでない、仲間でありながら閉鎖していない、夢を追いかけるが頭でっかちでない、反抗的でありながら優しい、遺産を受け継ぎながら新しい、かっこつけるが嘘はつかない。
そういうロックンロールの最も良き側面を、一言で表現するならば、「ともに楽しむ心」ということになるだろう。
彼らは、そういうステージを、何千回と重ねてきたのだ。

 ライブの後ろから数えて3曲目、アンコール4曲目は「ジャングルランド」だった。
あのサックスソロを奏でるビッグマンは、誰よりも大きく堂々とそびえていながら、さらに大きな何かをこの場所に呼び出す使者にすぎないかのように、どこかこの世を超えた怪しさと恐ろしさをまとっていた。
その姿を見つめながら、トシはもう、生まれて今までやってきたことに何も悔いはないし、すべての夢はかなったかのような思いに包まれていた。
不思議なことに、それは同時に、未来への希望でもあった。
過去をすべて肯定して完全にそのままで受け止め、捨て去ったとき、未来に見えるのはあらゆる可能性だけだった。

 そのときになって初めてトシは、「ジャングルランド」というのはニューヨークのことだと悟った。
ニューヨークに来てから何度も地図を眺め、改めて歌詞に耳をすませてみて、マンハッタンからハドソン・リヴァーを渡ったところが大陸であり、そこがニュージャージーであるという事実に行き当たったのだ。
そう思ってみれば、この曲の音の輝きが、なんと見事にニューヨークという街のきらめきを表現していることか。
いまさらになって気づく自分に笑いながら、このニューヨーク滞在が最高に素晴らしいものになるだろうという予感だけが、トシの心を満たしていた。

書く力になります、ありがとうございますmm