11.「speechless」 – 『FLY』 全曲ソウルレビュー –

※2018年6月27日に自作ブログに投稿した記事のサルベージです

無力、自責、まぶしくて直視できない輝き

時間は魔物に例えられることがある。

人間よりもはるかに大きく、強く、何もかもを変えてしまう力があるからだ。

「FIRE」で清水翔太は、誰かを傷つけるとわかっていて傷つけた。

誰かを傷つけた時、「傷つけられた方」よりも「傷つけた方」のほうが、よっぽど深い傷を負うことがある。

「傷つけられた方」は自分の傷の心配をすればいいし、治す努力もできる。

「傷つけた方」は、相手と継続的な関係を持っていない限り、何もできない。

会わないままに過ぎ去っていく時間は、相手との距離をどんどんと広げていく。

I’m speechless
君の痛みを僕は超えない
So speechless
こんなに好きなのに
弱いよ

そしてもしも時を経て、再び会うことがあったなら、時間の流れにおののくことになる。

自分の中にいる相手は「あの頃」で止まってしまっている。

それなのに、現実の相手は自分の想像とはまったく別の姿になっているからだ。

見た目や、性格だけではない。

相手との「関係」も、大きく変わってしまう。

それは本当に、何がどうあっても取り返しのつかないことだ。

あの頃の僕らなら
無邪気に、全部話せるかな
伝えたい一つの想いの前に
罪を背負うから君が眩しい

エロスを持て余して

「エロス」は人を傷つける。

傷つけることが目的だとすら言えるほどだ。

俺は二十歳前後のころ、数年間にわたって、女の子と恋愛的な意味で関係することができなくなった。

心の表面では興味が無いような顔をしていながら、心の奥底のほうでは、性的なものをおそらく嫌悪すらしていたと思う。

やがて二十代中盤になってくると、今度は性的なものに依存していくようになる。

このあたりは俺の中であまりにも折り合いがつけられなかったので、半自伝的な小説という形になっている。


それを嫌悪していたにせよ、依存していたにせよ、問題は、俺は性的なものを「誰かを傷つける行為」としてしか受け止められなかったということだ。

だから誰かが本当に俺のことを想ってくれるようなとき、俺は自分の罪深さに泣いた。

俺は誰かを傷つけることで関係していたのに、相手はそんな俺を本当に想ってくれたから。

そんな人に出会うと、相手と自分でいったい何が違っているのか、圧倒的な慈愛の可能性におののきながら考えた。

もちろん、この罪と慈愛の関係は、キリスト教のアガペーの発想に近い。
(というより、そこに俺が見出していた圧倒的な慈愛の可能性自体が、キリスト教の知識と発想を知っているからこそ感じるものではないかと思う。)

しかし上記「別れの歌3曲」の記事にも書いてある通り、俺の欲しいものがキリスト教ではないということはわかっていた。

祖父と姉

俺に娘が生まれてから、母と「親子らしい」会話をすることがある。

そんなことは、娘が生まれるまではほとんど無かった。

その中で聞いた一つの話が印象に残っている。

俺が1987年の東京に生まれた頃、父は外国にいたから、母は周囲の手をたくさん借りなければならなかった。

母の父(つまり俺のおじいちゃん)も、名古屋から応援に来てくれたそうだ。

俺には4歳上の姉がいる。

母が俺の出産にかかりきりになる期間に、おじいちゃんは東京に来てくれて、姉とよく遊んでくれていた。

やがて俺たちの生活も落ち着いて、おじいちゃんは名古屋に帰った。

それからしばらくして、姉とおじいちゃんが再会した時、姉はおじいちゃんに対して人見知りを見せたらしい。

おじいちゃんはそれを見て、とても残念そうだったと。

おじいちゃんと姉はせっかく仲良くなったのに、しばらくして再会してみたら、姉はおじいちゃんに対して打ち解けなくなっていたから。

「おじいちゃんは寂しそうだったな」と、母は言った。


「愛されたい人に愛してもらえるなら、その人は成功者なのだ」とウォーレン・バフェットは言った。

もしも俺がおじいちゃんの立場だったならば、姉(つまりおじいちゃんにとっては孫)と仲良くなることはとても嬉しいことだったに違いない、と思う。

そして何よりも俺をおののかせるのは、今となってはもう、そんなおじいちゃんはこの世にいないし、姉は一人前のおばさん(って言ったら怒られる)になっているということだ。

すべてはもう、過ぎ去ってしまった。

「君が好き」

過ぎ去ってしまったことの中で、今になったからこそ分かることも、たしかにある。

俺の娘は現在、1歳半だ。

平日の昼間は保育園にかよっている。

夕方に保育園まで迎えに行き、夕飯をつくり、娘を寝かしつけるのは俺の仕事だ。


夜に、娘を寝かしつける暗闇の中で、俺は一日を振り返る。

平日の一日の中で、俺が娘と一緒にいるのは夕方の数時間だ。

6時過ぎに保育園に迎えに行き、9時過ぎに寝かしつける。

家族である俺よりも、保育園の先生や友達のほうが、よっぽど娘と一緒にいる時間は長い。

保育園での娘を、俺は知らない。

家に帰ってからの娘を、保育園の先生や友達は知らない。

そこで俺は「ハッ」と気づいた。


「俺はこれが欲しかったのだ」。

小学生や中学生の頃、俺にはいつも好きな人がいた。

いつも女の子に憧れていた。

上記の自作小説の表現を借りるならば、「道を歩くだけでも、どこかの曲がり角からその女のコが現れるのではないかと期待するほど四六時中夢に見ている」ような状態だった。

あの頃、俺はたしかに誰かを「好き」だと自覚していた。

「好き」の気持ちは大人になるにつれ、少しずつ複雑に、難しくなっていった。

誰かを「好き」だったあの強烈な感情、あれはいったい何だったのだろう。

あの頃の「好き」な気持ちの中には、「知りたい」「仲良くなりたい」「認められたい」、こういう気持ちが含まれていたと思う。


ある夜、俺は娘を寝かしつけながら、「ハッ」と気づいて、あの頃の自分の感情の向かう先を見つけた気がした。

あの頃、俺は憧れの女の子の、「家庭での生活」が知りたかったのだ。

みんなで過ごす学校生活とは別の、あのコの家での生活を知っている、そんな特別な誰かに、俺はなりたいと思っていた。

「あのコの家庭での生活を知りたい」という感情の裏には、複雑な要素が含まれている。

■家族とは基本的に一生を分け合う仲だから、「あのコと一生を分け合う仲になりたい」という気持ち。
■家族は生殖の単位だから、「あのコと生殖したい」という気持ち。
■学校の他のメンバーの誰も知らないあのコを知りたい、という気持ち。
■あのコに信頼され、生活のこまごましたことや、大切な相談などをしてもらうような存在になりたいという気持ち。

などなど。


あの夜、娘を寝かしつけながら、娘の保育園での生活を思う時、俺は娘にとって特別な地位にいるのだなと感じていた。

この地位にいるのは、俺と、妻だけ。

男の中では、俺だけ。

「そうか、あの頃の俺は、こういうような、あのコの特別な地位につきたかったのだな」ということに、その日の俺は気づいた。

そしてもちろん、今の自分の幸運さにも改めて気づいた。

今の俺は、妻と娘、二人の女性の、特別な地位にいる。

一つを、掴む

取り返せないものは、たしかにある。

決して取り返せないものを思う時、悔やんでも悔やみきれるものではない。

だけど、悔やむことばかりでもない。

何かを失った経験のある人にしか、目の前にあるものの大切さには気づけない。

失ったものを「忘れる」のでも「乗り越える」のでもなく、ただそのままに「受け入れる」。

失った経験があるから、何かを大切にできる。


そして時間という怪物の中で、大切な何かを見つけたのなら、ただ「離さない」こと。

手元にギュッと引き寄せつづけること。

そうすることで、時間という怪物による変化に「抗う」のではなく、変化を見つめつづけることができる。


一番難しいのはたぶん、最初の段階で、腹をくくることだ。

それが一番難しい。

人生の可能性は無限にあって、でもその中で実現できるのは非常に限られている。

そんな時、「これだ」と腹をくくるのは難しいだろう。

でもそれを決めない限り、永遠に「speechless」で、誰にも何も言えないのだ。

「好き」なだけじゃダメな理由が、おそらくそこにある。

どんなことも本気でやろうと思ったら、何かしらの犠牲はある。

「私の知り合いの中で望みの愛を手に入れた人は、誰もが自分を成功者だと思っている。誰にも愛されずに満足感を得られる成功者など、私は想像することができない。」
ウォーレン・バフェット (インターネットで適当に拾いました)


書く力になります、ありがとうございますmm