2-10.インドシナに二人


 ナツミちゃんとの性交は、二度目が良かった。
相手が誰であれ、一度目の時というのはたいてい、常に体と同時に頭を動かしているような感覚がある。
どのタイミングで挿入すべきだろうかとか、相手の良いところを探りながら自分の腰を合わせていく模索だとか、この後に体位を変えるか、変えるならばどのように変えるかとか。
相手と自分の体を観察しながら常に選択と決断を迫られているような感覚があるものだ。
その点で二回目の性交というのはまったく違う。
性交を一度しっかりと完了まで導くという「義務」をすでに果たしたかのように感じた二人は、お互いの体に詳しくなり、ぐっと自由になるのだ。

 ある睦み合いの流れの果てに、ナツミちゃんと向かい合いながらベッドに横たわり、お互いに足を閉じたまま性器を結合していた。
この体勢では性器を奥まで差し込むことはできないから、俺は亀頭のでっぱりが飲み込まれるぐらいまで、ナツミちゃんの中に入れては途中まで引き抜き、膣の入り口の感触を何度も何度も味わっていた。
楽な姿勢で触れ合いながら、急ぐともなくお互いの体を感じていた。
滑らかな快楽に浸って温まったナツミちゃんのおでこに鼻をつけながら、俺はホテルの窓の外に明るく広がるタイの空、そしてインドシナ半島からユーラシア大陸の大地について考えるともなく考えていた。
この場所、巨大なビルや商業施設が立ち並ぶバンコクも、かつては鬱蒼とした森や林に過ぎなかった。
中原の皇帝の勢力は届かず、アレクサンダー大王ははるか手前で足を止めた、インドシナのこの土地。
海洋の時代が来るまで、歴史の表舞台に名を刻むことはほとんどなかった。
それらの数千年の時代、この土地を流れていった数知れぬ名もなき人々について、俺は思った。

 彼ら、彼女らの生活について、俺が何かを知る事は永遠にないだろう。
しかし俺と彼らのあいだに、それほどの違いがあったとは思わない。
腹を満たす努力をし、人の尊敬を集めるために気を張り、女を抱いた事だろう。
タイでは、人の命がどこか軽い。
おそらくそれは、貧しさのためだ。
富を得、高い教育を受け、自意識が複雑になるほど、人は自らの命を重んじる。
しかし俺の命も名前も、数百年後にはこの世界の片隅にすら残っていないだろう。
連綿とつながっていく命の流れの中で、俺は当然の事としてこの世に生まれ、当然の事として次の世代に追い出されていく。
誰の記憶にも残らず、誰からもかえりみられない自分のその位置に、俺は居心地のよさを感じる。

 俺の動きに合わせてずっと腰を軽く動かしてくれていたナツミちゃんが、何かをせがむように俺に絡みついてきた時、俺はゆったりと彼女の頭を抱え込み、艶を帯びて黒く長い髪を撫でながら、彼女の上にのしかかった。
とびきり素敵な女は数え切れないほどいる。
俺の心は死ぬまで彼女たちによって潤される。
俺もまた、彼女たちに潤いをもたらす。
そしてある時、俺は消えるだろう。
そのすべてが、この上もなくありがたいことだった。

書く力になります、ありがとうございますmm