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反省文(2020.12.31)

反省文を書くなんていつぶりだろう。ない。これまでの人生で反省文なんて書いたことがない。できた子だったのか上手く立ち回ってきたのか、どちらかというと後者であろう。そんな俺が俺はあまり好きじゃない。
誰かの顔色を伺って生きてきた俺には我が道をがむしゃらに突き進む人間が眩しい。自分に嘘をつかない。もちろん他人にも。これからはそんな人生がいい。その方が絶対にいい。
後悔はめちゃくちゃする。多分人よりする。寝る前とかよくする。で、過ぎてしまったことは仕方がないと言い聞かせて目を閉じる。その繰り返し。それがよくない。反省しろ俺。後悔したら反省しろ。明日死ぬかのように反省して永遠に生きるかのように反省しろ。しかし足早に過ぎる日々はそんな暇を与えてはくれない。だからこれはチャンス。2020年の俺をここに置き去りにしてやる。2021年からはニュー俺。いぇーい。
反省しよう。反省大賞は獲らないだろうとたかを括り元々2000字だった反省文に1000字上乗せした。可能性は皆等しく平等にあった。単純なことだ。俺はてんてんに投票した。正直かなり悩んだ末の決断だ。反省させたい者がいなかった。どちらかといえば全員を焼肉に連れて行き褒め称え労いたいくらいだ。ただ反省大賞はエンターテイメントとして面白い。実際反省大賞を獲った俺はいわゆるおいしいやつだ。俺は当たり障りのない理由で彼を推した。蓋を開けてみれば俺と彼との差はほんの数票。2強だ。反省大賞は彼が獲るであろうと踏んでいた。俺を除外して考えてみると消去法でなんとなく彼になる。彼は反省してもいい柄なのだ。そして多分俺も。投票の理由として多かったのは〝なんとなく〟だったらしい。これはきっと来年も変わらない。俺と彼はそういう柄なのだ。払拭しなければ永遠に反省大賞を獲ってしまう。でもきっとそれはおいしい。ただ反省文は不味い。数ヶ月後ならいいが1年後に読み返したら恥ずかしくなるようなことを書いている気がする。
反省しよう。大賞に推された理由の1つに変態だからというものがあった。俺は変態なのだろうか。きっとこれも柄の力が作用している。俺がピーと言うのとまっちゃんがピーと言うのとでは随分印象が違う。多分まっちゃんは許される。羨ましい限りだ。つまり変態を脱却するには振り切ってしまえばいい。まっちゃん側に行けばいい。そういう柄になればいい。もしくはケイタに頼む。彼がピーと言えば変態度は、まっちゃん<俺<ケイタになる。何でもいいから変態っぽいことを言ってくれ。一言で地に堕ちてくれ。
反省しよう。どうやら俺は暴れ過ぎらしい。これに関しては腑に落ちるところがある。最近感じていた。多分俺は頭の中で描いている理想のKC像を演じているふしがある。ここでアイツならこう言う。ここでアイツならこうする。アイツは暴れたがりだ。アイツはこんな反省文書かないだろう。反省しないだろう。でも中の人は反省する。俺は根暗な人間だ。アイツを演じることで心のバランスを保っているのかもしれない。アイツにはいつも助けられてばかりだ。サンキュー。
反省しよう。Twitterの使い方が間違っているようだ。俺はTwitterを動画をアップロードするツールとして使用している。自らにそういう縛りを課している。俺は縛られるのが好きだ。変な意味ではない。無限にある選択肢の中からではなく、限られた選択肢の中で最大限のパフォーマンスをした方がより良い物が生まれると信じている。Twitterはなんでも投稿することができる。それが苦手だ。選択肢が多過ぎる。どんな些細なことも時間をかけて考えてしまう俺にTwitterのスピード感は合っていない。考えに考え抜いて無限の選択肢の中から選んだ最初のツイートがあれだ。縛ろう。縛るべきだ。
反省しよう。ペロペロが多いんだって。?となった。ペロペロと声に出して言ってみる。言ってる。俺これ言ってる。ペロペロ。ペロペロすると大体皆喜んでくれる。特にケイタとロックが喜んでくれる。ペロペロは魔法の言葉なのだ。可愛さ、怖さ、面白さが混在している。使い所や場面によって言葉が持つ印象が変化する。困ったらペロペロしよう。ただやり過ぎはよくない。今回のお叱りはそういうことだ。〝多い〟というのが問題でありペロペロ自体が否定されてる訳ではない。ペロペロには様々な場面で助けられてきた。これからも傍に居てね。
反省しよう。直感で動き過ぎる。俺は霊感はないが嗅覚は鋭い方だ。ロジカルに組み立てて考えるよりも嗅覚に頼ってしまう場面が多い。そうせざるを得ない状況に陥りやすい。俺はよく釣りをする。時間、場所、風、潮、道具、技の必要条件が全て満たされた瞬間魚が釣れる。知識と技術があれば魚を釣り上げる確率を限りなく高めることができるが、最終的に物を言うのは直感だろう。つまり繊細さと大胆さを共存させるのだ。そうすれば恐いものはない。ここぞという時が必ずくる。その時まで直感は常に磨いておけ。研ぎ澄ましておけ。正しい選択を嗅ぎ分けられるように。
反省しよう。マイクに近寄りすぎることがある。俺がPCでの通話用に使用しているマイクは「888M マランツプロ USBコンデンサーマイク」という卓上スタンド付きのマイクだ。これがいけない。ググれば分かると思うが握ってくれと言わんばかりのフォルムをしている。こいつは卓上にいるより握った方がポテンシャル以上の力を発揮してくれるのではないかという印象を受ける。卓上から上目遣いでこちらを見つめられたらもう最後。気づけば俺は握っている。そして優しい気持ちで囁くのだ。
反省するということは立ち止まり自分の立っている場所を改める作業である。その場所に立っていていいのか。その方向を向いていていいのか。そして前を向き今までとは違う方向へ歩き出す。また立ち止まる。人生というのはその繰り返しだ。歩いたままなら立ち止まれ。立ち止まったままでも時間が経てば歩き出せる。心配ない。誰かや何かが手を引いてくれる時もある。俺にはそういう経験がある。大丈夫。
反省大賞を獲るまで反省するという行為を久しく忘れていた。子供の頃は親や先生に反省を促されるが大人になるとどうだろう。自主性を求められる。意志や習慣がなければ次第にやらなくなる。大人にこそ必要なものなのにいつの間にかやり方を忘れる。そういうものが多い気がする。大切なものはポケットにしまう。底に穴があいているとも知らず。歩いているうちに膨らんだポケットの底からこぼれ落ちる。それは音がしないから落とした時には気が付かない。でもそう遠くないところに落ちているはず。失くしてからどんなに長い距離を歩いてきていたとしてもいつでも拾いに行ける距離にそれは落ちている。諦めずに探すことが重要なのだ。
2020年の俺よ。これぐらいで勘弁してやる。そろそろ歩き出す頃合いみたいだ。カウントダウンが始まっている。バイバイ俺。もう少し一緒に居たかったけどお前とはここでお別れだ。2021年はニュー俺に任せてくれ。お前の分まで頑張るぜ。一先ず1年間歩いてみよう。次に立ち止まるのは2022年の俺に会う時だ。待ってろ俺。2023年、2024年、その先の先の先の俺も待ってろよ。さて、反省はもうやめだ。(我ながら格好よく締めれたのに31文字足りない)……いぇーい。

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