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【交換日記35日目】松野は10年後20年後のことを考えちょるがか

どうもKCです。

タイトルは、〝海がきこえる〟(氷室冴子原作のアニメ作品)の作中に登場する主人公、杜崎 拓が高校時代に親友の松野 豊に対して放った台詞です。

私が彼らと同じ年齢の時に10年後20年後のことを考えられていたのかというと甚だ疑問が残りますが、少なくとも前の席にいるやつや隣のクラスにいるやつ、廊下ですれ違うやつやロッカーが近いやつと、何年も経った後に夜な夜な集ってゲームするような関係になるとは微塵も思いませんでした。

〝海がきこえる〟は主人公の杜崎 拓に同窓会の案内状が届くところから物語が始まり、それがきっかけで彼が高校時代を回想して行きます。アニメでは物語の大半が彼の高校時代の話なのですが、それがなんとも甘酸っぱい。

小説、DVD、サウンドトラックも所持し、自他共に認める〝海きこ〟ファンの私ですが、この作品を観る度になんとも言えない、心がキュッと締めつけられる感覚に陥ります。

つい先日生放送で〝海がきこえる〟について話す機会がありました。その時にロックが、まさか大人になってまで高校の時のように馬鹿なことしてるとは思わなかったと話していました。

確かに基本的に動画内の彼ら(私も含め)はお馬鹿なことばかりしています。

けれど彼ら(私も含め)は本当にお馬鹿なのでしょうか?

人には様々な顔があると思いますが、皆で集って遊んでいるときの私は普段より性格をとっても言動をとっても、精神年齢が低くなっていると感じます。それは他のメンバーでも言えることで、口を開けばコンプライアンスに抵触するような会話を繰り広げている彼ら(私も含め)が社会人〜年目とかわろけるわけです。

ここで精神年齢が低くなっていると感じる理由について私の中で3つの仮説を立てました。

1.ゲームをしているときの彼ら(私も含め)は、性格も言動も高校時代に戻っている説

2.居心地がよい為、行動も言動も気を遣わなくて良いから説。

3.キャラクターを作っている説。

1に関して、高校時代と比べると、実際に休み時間や放課後に遊んでいたことが、環境をネットの世界に変えて、やっていることは高校時代のソレです。それに釣られて性格や言動も当時の彼ら(私も含め)に戻っているのではないのでしょうか?つまり良くも悪くもミナミノツドイとしての活動の時のみ、彼ら(私も含め)の時計はあの頃のまま止まってしまっているのです。

2に関して、とにかくここには彼ら(私も含め)にとって、嫌味な上司や気を遣う取引先がいないわけで、普段言いたくても言えない罵詈雑言が飛び交うのです。気を遣う人もいないのだから、それは幼稚な言い争いも起こるわけです。

3に関して、動画用にキャラクターを作っている場合もあります。てんてんは私と2人で話す時と、皆でゲームをする時とキャラクターが全然違います。180度違います。かなりお馬鹿になります。彼なりに動画を面白くしようとしてくれている結果なのかもしれません。かく言う私も、動画では視聴者の皆さんが描いているKCのイメージを崩さないのように、本来の私が持つインテリジェンスを80パーセントほど抑えるよう心掛けて撮影に望んでおります。

〝お馬鹿なことをする=ゲームプレイ時の精神年齢の低下〟と考えると、この3つの仮説のうちのどれかが立証された時、彼ら(私も含め)は本当はお馬鹿ではないということになるのです。

そう、彼ら(私も含め)は本当はお馬鹿ではないのかもしれないのです。

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つまり何が言いたかったのかと言うと、〝海がきこえる〟はお勧めです。

さて、前回のケイタくんの日記、料理のレシピを書いたり実際に写真を載せたりと、とても手の込んだ日記になっていましたが、何より『この前4年前の動画を見たのですが、今と比べるとだいぶ明るくなった気がします。』と書いていました。

ミナミノツドイでの活動がミナミノツドイメンバーの誰かに何らかのプラスの影響を与えていることはとても喜ばしいことであります。

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【ケイタからKCへの質問】
好きな食べ物はなんですか?
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好きな食べ物はなに?と聞かれると、これは料理名を問われているのか、素材の名前を答えるべきなのか迷います。なので私はいつも白米と答えるようにしています。実際に白米は大好きです。私が日本人に生まれて良かったと思うものトップ3のうちの1つです(残りはお茶と温泉)。

とある事情で白米を何年も食べることができない状況に置かれた事があります。その期間を経て、久しぶりに食べた炊きたての白米の1口目が今でも忘れられません。

食べ物を好きになる要因として考えられるのは、その食べ物が持つ味が主だと思うのですが、他にも食べる時のシチュエーション(場所や人)も食べ物を好きになる1つのファクターとなり得るのではないかと考えます。

カップラーメンをお昼に食べるのと深夜に食べるのと、深夜に食べる方が心なしか美味しく感じるのは私だけでしょうか。

以前、ミナミノツドイの旅行でコテージに泊まった際、皆が寝静まった頃に夜な夜な夜食を作る会が開かれました。確かケイタが作り出して、まっちゃんがサポート、私がカウンター越しに見ているという状況だったと思います。

ケイタの料理作りをまっちゃんがサポートしているという図だけで面白くないわけがありません。BBQの余り物で作ったその料理、見た目は然程よろしくありませんでしたが味は最高でした。終始笑いを堪えながら(皆寝ているため)料理し、「味見味見!」といいつつ料理が終わった頃にはその料理は消えていました。あの料理、名前はありませんでしたが、もし料理名があるとすれば私の好きな食べ物のうちの1つになっていたかもしれません。

というように好きになるもの、食べ物、音楽、本、映画、何事もシチュエーションというのは好きを左右するのにとても重要なファクターになり得るのです。

(?)

つまり何が言いたかったのかと言うと、ケイタがTwitterに載せる料理の写真はあざとく、勉強になります。

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【次の人は..まっちゃんです】
これはちょっと人に自慢できることはありますか?(出来事でもなんでも)

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