チームにおける、自律性(Autonomy)と自由(Freedom)の違いについて

コロナをきっかけにフルリモート環境になったこともあり、改めて自律性という言葉について考える機会がありnoteにまとめた。組織開発に携わるHRやチームを作るマネージャーを読者として想定している。

ホラクラシーをはじめとするティール組織や内発的動機づけの文脈で、よく自律性(autonomy)という言葉が出てくる。

自律性というと「他人からコントロールされないこと」と解釈している人もいるが、そうではない。


「マネジメントがない = 自律」ではない

昨今の事情もあり、うちもフルリモート環境で業務に取り組んでいる。

誰に監視されるわけでもなく、YouTubeを聞きながら気が乗ったらご機嫌に仕事する、というのは「自律性がある」と言えるだろうか。

答えは否である。

これはただの「自由」であり、組織開発やチームビルディングでは望ましい状態とは言えない。

「自律性を高めれば動機づけが行われ、関与のレベルも上がり、良いパフォーマンスが出るはずだ」と考え自由を与えたのに、たしかにメンバーは気持ちよく働いてはいるが思ったより成果には繋がっていない。そんな結果になってはいないだろうか。


「自律性」とはなにか

三省堂の大辞林第三版によると「他からの支配や助力を受けず、自分の行動を自分の立てた規律に従って正しく規制すること。」とある。

Autonomyの語源を見てみよう。

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(Googleからの引用)

ギリシャ語で self + law から来ており「自らの法律を持ち、それによって自らを律する」という意味を持つ言葉だと分かる。

カントの倫理学では、自律とは「自己の欲望や他者の命令に依存せず、自らの意志で客観的な道徳法則を立ててこれに従うこと。(三省堂 大辞林 第三版)」とある。

つまり、自分を客観的に認識し、本来自分が為すべきと信じられることに、他人からの圧力や自らの欲に負けず向き合うこと、文字通り「自らを律する」ことが「自律」だということだ。


改めて、組織やチームを見渡してみる

あなたが携わっている組織やチームは、メンバーが「自分が本当にすべきことはなにか?」と日ごろから自問自答しているだろうか。気がついたら一日が終わっていて、部屋の中の象のような本当に取り組むべきことが後回しにされていないだろうか。

誰かに頼まれたわけじゃないのに、めんどくさいめんどくさい言いながら仕事を進めている人は実は自律している。彼らは面倒だけど自分が推進しなくてはならないことをよく分かっている。

組織開発者やマネージャーは、メンバーが「自分が本当にすべきことはなにか?」を自然と自問自答してしまう仕組みを用意できているだろうか。上から自問自答せよというのではなく、メンバーが「自分とはどのような存在であるべきか」という問いに向き合えるように支援をすべきである。


今だからこそ、自律性を見つめなおす

「やりたいようにやっていいよ」は放任にすぎない。自律性が高い人はその中でも自律できるが、パフォーマンスの高いチームを作るという役割を担うみなさんは、仕組みによって自律できるメンバーを増やすことが責任と言える。

メンバーが「あなたはどのような存在でありたいのか」に向き合える土壌をつくること。

高い自律性を持つ組織を目指しているHRやマネージャーのみなさん、この機会に一度見つめなおしてみては如何でしょうか。



余談:昨日TLに流れてきたTweet、こういうことなんかな


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