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お弁当をひとりで食べていた高校時代 |日記

高校1年生。
私は遠距離通学をはじめた。

ど田舎なので先ず駅に行くのにバス停まで20分歩き、2時間に1本とかのバスに15分揺られ、40分電車に乗り、そこからスクールバスに乗り換え…ってしないといけないので、1日に4時間ぐらいを通学に費やすことになった。

母も同時期に異動になり私も母もクタクタだった。
多分めちゃくちゃ必死だった。毎日私たちは色々言い争ってたと思う。

その一個が通学時間で、母が朝に駅まで送るならば課金してでも7時半の快速電車に乗って欲しい(出発時間が遅いから)とのことだったが、私は友達と同じ電車に乗りたいから時間がかかろうが7時の電車に乗りたかった。

だったらお弁当は自分で用意しなさいって言われて、まに受けた私は本当にお弁当を自分で作るようになった。(まさか本当にやると思わなかったんだと思う。)

それでもやっぱり互いに通勤通学がきつすぎて、8時の新幹線に駆け込む羽目に何度もなったし、送り迎えするのもかなりきつかったのだと思う。(母は母で同じ市にその後高速通勤して22時、23時とかに帰ってくる生活をしていた。)

1ヶ月くらいでリタイアして駅前に引っ越した。
今考えてもあの時の母の決断力が凄すぎて信じられない。母なりの1番の工夫だったと思う。
一気に生活が楽になった。

駅前に引っ越そうがその後もお弁当作りは続いた。

1年の頃は仲良し4人で和気藹々と楽しくお昼を過ごしていたし、ちょうど良い距離感で楽しく過ごしていた。
今でも仲良しの子も、自分で毎日お弁当を作って持ってきていてそんな共通点も大好きだった。

夏休みごろ、当時付き合ってた男の子に「なんか太い?」って言われた。多分ただプニプニしてるとかそういう表現がそうなっただけなんだと思うけれど、そこから私の心に「太い」って言葉が刻まれた。

私は太いから痩せないといけないんだと思った。毎日お風呂に5時間ぐらい浸かったし、ひたすらに運動したし、オレンジジュースを飲んで過ごした。後牛乳。
後々柑橘と牛乳は組み合わせてはならないことを知った。

夏休み明け、特進の友達に「あれ?痩せた?いいな〜」って言われて、国立附属中から来た勉強でも容姿でも優れてる子が認めてくれた気がして嬉しかった。

バカ真面目なので色々調べた結果、なぜだか拒食症の子のブログに辿り着いてしまった。
その子がアップする食事を真似てたら、痩せられるんだなあと思って真似し始めたが最後だった。

最初は痩せるんだけど、結局は栄養が足りてなくて食べてしまうようになったし、人前でおにぎり1個とか全然食べない分、人に隠れてたくさん食べるようになった。
それでも別に友達は変わらなかったし、とても居心地が良かった。

2年生。

クラス替えをして一緒にいるメンバーが変わった。
最初はとっても楽しかったけど途中からしんどくなってきた。
「これ食べる〜?」「一口ちょうだーい!」「何入ってるの??」っていうお弁当のやりとりが何故だかものすごくきつかった。何故だかわからない。

自分がものすごく劣ってる気がしたし、人のものを食べるみたいな感性もなかったし、じろじろご飯食べる姿を見られていると思ったら食べられなくなってしまっていた。ご飯を管理される感覚が苦手だった。

気がついたらお昼の時間だけ一人でフラフラ書道室に行ってご飯を食べるようになっていた。
とにかくそこから卒業までずっと一人でお弁当を食べる生活は続いた。

時には友達が休んじゃった人が「一緒に食べていい?」と立ち寄りにきたこともあったし、「今日は話したいから」ってふらっときてくれる人もいた。

決して絶対に人前でご飯が食べられないってわけじゃなくて、自分のペースでご飯が食べたかったし、何を食べてるかとかあまり気にされたくなかった。

おうちの人が作ってくれないの?のノリもいやだった。別に親が怠惰なんじゃなくて、私は私のためにこうしているだけなのだから。

昼休みが終われば私は普通に教室に戻ったし、教室に戻れば仲のいい子がいた。

他の時間は一緒にいるのに、お昼だけいなくなる私を受け入れてくれた友達も友達で後々考えたらとても心が広かったと思うし、なんなら変なやつなのにいじめの対象とかにしない校風だったところに関してはやっぱみんな育ちの良いんだなぁって思った。

クラスの先生もよく遊びに来てくれた。
消しゴムハンコを作って遊んでいたこともある。

「あなたの描く絵はへたうまだね!」「先生それってへたって言っちゃってますけどどうなんです?」って話しながらも、私の描いたイラストをハンコにしてはみんなの提出ノートに押してくれた。

多分先生なりの配慮というか、私がクラスの中からあぶれないようにそれとなく繋がりを作り続けてくれたんだと思う。

今教育する側の人間になってみて、もしクラスからあぶれる人がいたら何らか手を差し伸べる手段を考えると思うから、きっとそういうことなんだろうって思う。色んな面で先生には苦労させてしまったと思う。


そんなことを色々思い出しては「何て変わり者なんだろうか」ってよく思うけど、最近読んだ本の作者もお弁当を一人で食べてたと書いてたし、最近よく遊ぶ子も一人でお弁当を食べてたと言っていた。

「なんだ自分だけが社会から逸脱してたわけじゃなかったんだ」って思って安心した。理由はそれぞれあれどみんなひとりの時間があってもいいんだなって思った。

未だにあまり仲良くない人の前でご飯食べる時には「箸の持ち方大丈夫かなあ」とか「このペースで正解なのかな」とか「どのぐらいの量を食べたらいいんだろう」とか色々考えて集中できないこともあるけど、だいぶそういうのも薄れてきた。

ご飯を食べる姿を見られるの本当に苦手だったけど、大人になって苦手なことも「なんとかクリアする方法」みたいなのをなんとなーく手に入れてやり過ごせるようになってとても生きやすくなった。

また書いててよくわからなくなってきたけど、
思ってるより人は自分のことなんて気にしてないし、何かを言ってきたとしても本当の意味で私のことを変えようとしてるわけではないということに気がついてきたし、そんなのどうでもいいことにすぎないなって。自分がどうしたいかは自分で決めて選びとることだから、全て必要だったことだったんだって思えるようになってきた。

もっとご飯を美味しく罪悪感なく食べられるようになりたいし、体重が増えたところで周りが何も変わらないことに自分が納得したい。もう頑張らなくていい。

他人に自分の価値をはかれないことに気がついてるのだからもう自分のこと諦めないであげたい。

ここまで書いてマイスリーがよーくきいてきて目が虚になってきた。
明日もまた頑張っていきてこう。


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