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モノに愛着を持つには、その背景を愛せるほどの想像力が大事だと感じた話。〜運命のイス〜

2020年7月末、引越しをした。これは、そのときに出会った運命のイスにまつわる話である。

新しく住むことになった東京都墨田区にあるそのワンルームには、あらかじめいくつかの家具が備え付けられていた。自炊など滅多にしない男の一人暮らしには持て余すほどの冷蔵庫。デスクワークには特に不自由しないサイズの机。そして、その机とセットになっている、一脚のイスだ。

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引越し費用をとにかく抑えたかった自分にとって、こんなにありがたいことはない。冷蔵庫も、机も、申し分なかった。だがひとつ気になったのが、このイスだ。

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基本的に在宅でデスクワークをしており、もうすぐ30代半ばを迎える腰痛持ちの私にとって、イスの存在を軽視することはできない。そして背もたれもなく、クッション性が皆無と言えるこのイスは、「我慢すればなんとか使える」という範疇を余裕で超えていた。

このイスに腰掛けてパソコンと向き合い、数時間も作業すれば私の腰は悲鳴を上げるに違いない。そう思った私は、もともと長時間の作業に耐えられるイスが欲しいと思っていたこともあり、この機会に買ってしまおうと考えた。

そこで、とりあえずこの小さなイスに腰を掛けてパソコンに向い、Amazonを開く。子供の頃から大のゲーム好きである私は、実は引越し前からゲーミングチェアに目をつけていたのだ。

だが、いくつかのゲーミングチェアを見比べていると、その特徴や価格帯は様々でなかなか決められない。これから長く使うであろうイスだから、できれば実際に座って確かめたいとも考えていた。

そんなこんなで悩んでいるうちにだんだんと、「本当にわざわざ高いお金を払ってゲーミングチェアなんて買う必要があるのだろうか?」と思う直すようにもなってくる。自分にとって満足できるものではないからと言ってすぐに新しいモノを買うというのは、少し浅はかではないだろうか。

確かにいまのイスでは使いづらいかもしれないが、それでももう少しこのイスと向き合うことで、愛着を持つこともできるのではないだろうか。

そう考えたときにふと、「そもそもこのイスはなぜ、いまこの部屋にあるのだろう?」と、気になった。もともとこの部屋に備え付けられていたイスであり、自分の意思で買ったモノではないから、どういった経路でこの部屋に置かれることになったのかはわからない。

そこで、このイスがどのように生まれ、どのような経路を辿ってこの部屋へ辿り着いたのかを想像してみることにした。価格はまったくわからないため、どこかの工場で生まれた量産型なのか、著名な職人による一点モノなのかどうかは、定かではない。

ではもしもこのイスが、とある工場で制作されたモノだとしたら、どういう経路でこの部屋にたどり着いたのだろう。家具屋や百貨店で売られていたとして、すぐにいまの部屋の管理人が購入したとは限らない。管理人の前に、とある家族が購入していたのかもしれない。

想像するにその家族は父、母、娘の3人家族。両親と子供が勉強机を探しているときに、この机とイスに出会ったのだろう。きっとその子供は自分専用の机ができたことに喜び、この机で勉強することもあれば、本を読むこともあっただろう。ときには意味もなく座ってみたり、空き箱を組み立ててパソコンに見立てては、そのパソコンで文字を打つマネをして、テレビドラマでよく見るような大人ごっこをしてみたりしたのかもしれない。

思い返せば一人っ子の私も子供の頃は、パソコンを使いこなす大人に憧れていた。だがパソコンがそこまで普及していなかったこともあり、我が家にパソコンはない。そこで、たまに父の”ワープロ”を借りては適当に文字を打ち、大人のマネごとをして遊んだ。この机とイスに座るその少女も、もしかしたら同じような経験があるのではないだろうか。

そして数年の時が流れ子供も成長し、やがては中学校に入り、この机とイスでは小さくなってくる。勉強もこれでは捗らない。そして新たにひとまわり大きな勉強机を購入し、使われなくなったこの机とイスは売りに出されることとなったのだ。

その机を、回り回っていまの管理人が購入し、この部屋へと辿り着いた。そしてそれを、私が引き継ぐこととなったわけだ。

☆☆

このイスには、少女が初めて自分専用のイスを持ち、成長するまでの記憶と思い出が刻み込まれている。そう思うと、このイスが「自分の生活スタイルと合わない」という理由だけで、むげに扱うことには罪悪感を覚えてしまう。

大きさや素材などという表面的な理由だけで、このイスを「いらない」と判断してしまった自分の浅はかさが、腹ただしくも思えてきた。昔から確かに、物を大事にしないことで母に叱られたことも何度かある。

私は、自分がまったく成長していないことに気づき、落胆してしまった。だが今回の経験で、私はようやく気づくことができた。モノを大切にできない私に足りていなかったのは、そのモノに対し、その背景を想像するということだったのだ。

このイスにはきっと、自分には抱えきれないほどの想いが詰まっている。

もしかしたら、まだ新米の職人が初めて作った、最初の一脚かもしれない。

もしかしたら、もう引退を決めたベテラン職人による、最後の一脚かもしれない。


そう考えると、このイスを必要のないモノだとは、到底考えられなくなった。愛着というものは、「その背景を愛せるだけの想像力が必要なのかもしれない」と、そう感じた。当分、ゲーミングチェアはいらないかな…。



そんなことを考えながら私は、買った。



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ゲーミングチェア。

もう、すぐに買った。引っ越した直後に買った。冒頭でも伝えたが、私は腰が本当に痛い。ものすごく痛い。ほんとにすぅっっっっごく痛い。この痛みとは長く付き合ってきているが、もはやこれだけの年月を過ごすともはや痛いどころか、少しキモい。

もともと部屋にあったイスに刻み込まれた少女の記憶や思い出も、そのイスを作ったであろう職人の想いも、このコロナ禍で10キロ太った私の腰を支えてはくれない。信じられるのはこのゲーミングチェアのみだ。


そして私は、ゲームが好きだ。

「ただでさえ在宅で長時間デスクワークするのにゲームもこのイスでするとかムリムリムリムリムリwwwwwwwwww」

ということで、買ったのだ。ゲーミングチェア。

これはもう本当に、最高。座ったときのこのクッション性はゲーミングチェアならではだろう。長時間座っていても腰への負担が本当に軽い。しかもオットマンが付いていて脚を伸ばせるし、リクライニングにすればこのまま寝られる。

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ただただ最高ではないか。しかもこれがAmazonで2万円しないくらい。さらにAmazonギフト券があったから1万円と少しで買えた。コスパ、最高!

運命だ。もう、このイスこそが運命のイスである。本当にいい買い物をしたと思う。買ってよかった。間違いなく2020年に買って一番よかったモノだ。

やはり腰に悩みを抱えている場合、イスはちゃんとしたモノを使ったほうがいいですね。


ちなみにもともとあったイスは、テーブルとしてしっかり活躍しています。

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