見出し画像

単純な私

高校生時代、東大インド哲学出身の倫理の先生は
私たちに「単細胞」という口癖がありました。
先生から見れば高校生の私たちはまさに単細胞で
物を知らない存在だったような気もします。
先生の人格もあってか、嫌な言葉ではなかったし、
誰もが普通に受け入れていたように思います。

私も純粋に政治や事件を捉えていたと思いますし
若者の持つ正義感や熱心さ、自己中もありました。
単純に考えることは危険な要素もあるのですが、
今思うとその時の方が生きやすかったと思います。
もうもどれないので、これからは若者を応援する
立場で考えていけたらと単純に思っています。

画像1

「応為の格子ハウス」は人物表現に入りました。
シルエットになった人物ですが、レリーフのような
ある程度立体的になるようにしました。
原画の画像を拡大してハウスのサイズに合わせ
樹脂粘土で細部を想像しながら凹凸をつけます。

画像2

その内に、金のない町人が冷やかしている?とか
羽織を着て頭巾をかぶったのは武士かもなどと
覗き込む人たちに対し、妄想も広がりました。
そうする内に、手の位置などを若干をずらしたり
着物も気になって変化をつけるようになりました。

画像3

人が入ることで物語が生まれるのでしょうか。
これはハウスを作っていて初めての体験でした。
こんな単純なことで楽しくなるんですね。(笑)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?