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抽象的であまりにも抽象な。

普通とか真っ当ってなんだろう?

今どきの若者とか昔の人はってどういう人のことを言うのだろう。

抽象的であるからこそ、その曖昧な定義に翻弄されてはいけない。

本当の自分なんて一生わからなくて、自分探しの旅をする意味はなんだろう。

きっと意味なんかなくていい。

ただ動くことが大切。

自分探しで自分を探せなかったと嘆くよりも、動いたことで勝手に意味になってくるはずだ。

それは動いたことで新しい何かに触れるからだ。

触れたら私は確実に私を変えざるを得なくなる。

そういう経験を増やすために動くのだ。

停滞、現状維持ではいけない。

ゆっくりまったりでも、少しずつ日々0.5歩でもいいから変わっていけるように動く。

停滞前線は嫌いだもの。

そんなことで少しずつ変わっていく私に、社会に期待している今、この頃であります。

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