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世界はでっかい。私はちっぽけ。

 仕事を辞めると決断するまで、仕事のことばかり考え、憂鬱な気分になっていた。いや、本当に鬱は私の目の前にいたような気がする。自分が何をしていても楽しくない感覚、生きている時間そのものが苦痛だったことを考えれば、私の想像であるが、鬱は私の頭をうろついていた。本当に辛い時間だった。今も仕事を辞めることを職場全体に伝えるという難局が待っているが、何とか乗り越えなきゃな。逃げたいな。
 仕事が嫌すぎると、視野が狭くなる。仕事のことばかり考え、この世が私と仕事、そこでの人間関係だけで構成されている気になる。本当は世界というのは広く、私はその中の何十億分の一でしかないのに、この世の構成要素は俺だ俺だと喚いていた訳だ。このことは「辞めても職場はどうにかなる」という上司の言葉を聞くまで忘れていた。世界は広いのだなー。あのまま、仕事を辞めることを上司に相談しなければ、仕事に対する負の感情で精神は崩壊していたと思う。「重く考えすぎだ」とも釘を刺されたが、良いやつを演じてきたつけが回ってきたか。仕事を辞める決断をしたことで、仕事ばかりの気持ちから解放された。
 ただ、世界のちっぽけな自分という実感が私の心の中では完全に理解できている訳ではない。やはり、辞めた後の職場のことを考えてしまう。「私がいないと。ただでさえ人手不足なのに」と考え込むと、辞めることを辞めそうになる。しかし、辞めることを私が望んでいることはわかる。辞めるといった後の周囲の反応へのびびりが半端ではないのだが、辞めると決断することは、だらだら続けることよりも勇気のいることだ。辞めることを正当化する訳ではないが、辞めて仕事を失うリスクや周りの目を顧みずに辞めようとする人ってけっこう偉くない?と今は思っている。辞めたいと思ったのは、今の職場から早く逃げ出したいという思いだったが、今は辞めて自分のちっぽけさを心に刻み込みたいと思う。それまでの私の仕事ぶりや生き方はあまりにも保守的で、もし仮に、万が一子どもが生まれた時、誇れる生き方ではないとも思った。逃げてばかり、無難ばかりを選ぶ自分では老い先長くないだろう。だって、びびりまくって生きることになるから。だから、辞めて世界の広さを知り、私自身のちっぽけさを知りたい。そうすれば、もっと大胆に生きていけるような気がする。好きな人ができれば、告白できる。嫌なことは嫌だと言えるようになる。きっと、そうだ。それが今の私のアンサー。アンサーはあるけど、問いが無いさー。

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