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「弱さ」と向き合うこと

先日書いた記事で、自分、やっぱり弱いなあと思ったので、書き始めました。前提として、悪いことではないと思っています。

僕は出来ることも多いけれど、出来ないこともすごく多いと思っています。
平凡に、なんでもこなすことは、正直なんのストレスもなく取っ掛かれるし、自分ができることは誰にでも出来ると思っています。
できないことは、本当に沢山あるけれど、
・継続すること
・何か一つのことに全集中すること
・自分が苦しい方に進むこと
・めんどくさい、をやること
とかが抽象的ですが挙げられるのかなと思っています。

僕は、周りから見ると、なんでも出来るなあいつ。みたいな感じかも。
だけど、別にそんなこともない。料理も家事も、適当に済ませてしまうし、服装も選ぶのがめんどくさくて真っ黒をここ一年くらいはブランディングと称して着ているし、人より自制心や探究心がないのではないかとも思うことがあります。

だけど、全部80%でやって、効率化する。みたいな性格自体は、別に自分が嫌いなわけではないです。大学受験もそれで成功したし、今までの仕事選びも、すごく無駄のないルートを選んでいるような気がしています。だけど、弱さであることも認めないといけないと思いました。

なぜ、こう思ったのかには、大きく二つ理由があります。
僕は、ロンドンに写真を学ぶという大きな建前を持ってやって来ました。
だけど、写真について考えれば考えるほど、アートとして、や、人の暖かさが映っている写真が好きなのであって、経済活動の中で消耗されているコンテンツではない。と思えてきています。

自分の感覚ですが、日本ではStreet Photographyの有名写真家は、90年代以前で止まっていると思います。肖像権の法律がSNSの普及によって曖昧になっているにも関わらず、です。だけどこれは、欧州でも言えること。縦型の動画の再生回数が直接収益になるシステムが構築された今、道端でその人がみた景色に経済的価値は薄いのかなあと思えてしまいます。だけど、写真とか動画って、広告だったりに使うようなものという側面だけではないと思うんです。僕は経済活動の輪の中にいない写真を撮っていたいと、小声で言いたいです。

自分は、インスタグラムに投稿することが写真の最終着地点ではないし、もっと何か違うOutputを模索したいと考えています。でも、ロンドンにきて、フォロワーが増えたわけでもないし、自分の写真がお金になったわけでもないし、何も結果が出せていない、そこにも弱さが存在しているなとも、同時に思います。

二つ目の理由は、京都に帰るという選択をしたこと。
元々、半年間ロンドンに滞在する予定でしたが、(前の記事の理由があって)12月中旬、2ヶ月半程度が経った今に帰国を決断しました。
もう本当に、いろんな要素が重なっているんです。
・円安が加速している中、ここで生活する費用対効果が低すぎる事
・言語を学びに来ているわけではないから、成長を感じないこと
・天気が悪すぎて気持ちがとても落ち込むこと
・家族の体調
とか、一文では語れないような内容です。

だけど、これって実は、自分が強ければ全部解決するのかもしれない。とも思っています。お金があれば円安なんて屁でもないかもしれないし、言語以外にも学べるプラットフォームなんていくらでもあるし、天気が悪くてもポジティブになれる方法はいくらでもあるし、家族の体調も、経済的支援ができれば何か返せるかもしれないし。

今の自分がこの国、状況、立場では何もできないことが、弱さだと捉えたいです。もちろん、学生だから甘えられる部分もあると、そう言ってくれる人も多くいると思います。だけど、僕のこの悔しいという感情が出てきた今、自分の弱さを見つめ直して次に進まないといけないなと思っています。

2024年の僕は、どんなことを考えて行動するのでしょうか。
稼いで、学んで、周りに分け与えるまでに、成長することはできるのでしょうか。全力で立ち回り、努力します。

Ken


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