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近況と次。

久しくNoteを開いた。
ロンドンから京都に帰国し、ちょうど2週間が経った。
非常に忙しない日々を送っている。

まず、この忙しなさの一つの理由は祖父母にある。
内容は、家族のことだから深くまでは触れないし、多分この悩みは公表しても共感を得られるものではないと思う。

ただ、総じて人は誰しも老いていくものだなと。
出来ないことが数えきれなくなり、今まで見てきた優しい祖父母を忘れたくないから、今自分ができることをしている。

これも一つ、自分にとって人生のステージの変化であると、
受け入れるしか今方法がない。

それはさておき、自分のこれからを明るく捉えてみることにする。

僕は今、多くの選択肢と真っ向から戦っているような状態。

まずは、住む場所。
当初の予定では、京都で4月頭(復学のギリギリのライン)まで過ごすつもりだった。それを2月頭に変更して、東京に2ヶ月早く前乗りしようかな〜、と。

やはり、どしっと住んでみると色々と成長機会の乏しさに苛まれてしまっている。一つ懸念していたことだけれど、ここは明らかに成長環境ではない。もちろん、家族との時間やワンコたちとの時間はかけがえのない、一生に次は来るのだろうかと思える程の大切な時間。けれども、今、21歳という一番多感で多くに手を伸ばせる体力があるうちに「するべきこと」なのかどうかは正直分からない。

次に、すること。
正直ここに関しては、運と巡り合わせが占める割合が大きいのかなと思っているので、考え過ぎ・計画のし過ぎはよくないと、教訓から捉えている。
ただ、スキルベースで物事を考えるのではなく、その場所にいる人をベースに考えたい。自分がどんな自分になりたいかは、日常生活のルーティーンに組み込んで成長を止めないことで可能であると捉えて、外向けは日常的に会う人を言い方は悪いかもしれないけれど取捨選択して、雑食ではなく一本に絞りたい。

と、いうのも。これまでの大学生活2年半において、僕は本当に色々と環境を跨ぎ、飛び回ってきていたなとリフレクションしていて思った。
だからこそ、多くの出会いに恵まれ、その繋がりが自身の成長に最も繋がったとも言える。しかし、何か一つにBetしてもいい時期なのではないかなと今は思っている。それが何なのかは定かではないけれど、学生という何者でもない時期に一つ自信を持って出来ることを見つけて、熟して、発信できるまでにすることは、確実に自信にもなるし、キャリア形成においてもワンランク進んだ状態になり得る。

発信、と自分で言って思い出したけれど、SNS活動を一つのルーティーンとして捉えてもいいのかもしれないと、最近思っている。

と、いうのも。(Ver.2)今僕は、受動的な情報を制限している。詳しくいうと、Instagramのストーリーや投稿にはリアクションせず、DMも自ら送ることはなく、必要な連絡のみ対応するようにしている。まあメジャーなSNSは全部消したし、社会との根絶を図っている。これをしてみて、受動的な情報をあえて受け取らないことは、自分の精神状態や脳のリフレッシュに非常に効果的であることが分かった。僕は、いちいち一つの情報から枝葉を分けて考えてしまう癖があるので、頭が休まっている。その分、本を読む時間が増えた。これは自分にとって能動的インプットであって、大方欲しい情報が手に入る感覚が凄まじく嬉しい。

で、なんだが、それでも尚、SNS、特にインスタグラムは自分の名刺という役割を担うことが多いのが今の世の中であることに変わりはない。今の自分の投稿は支離滅裂であり、こんなことしてきましたとかのポートフォリオ的な投稿はほぼ0に等しいし、一目見てこんな人だって感じのフィード作りはあまり出来ていない状態。だからこそ、SNSを名刺化していくことは一つ、アリだなと感じている。セルフブランディング、とでも言うのだろうか。そこはもう少し徹底しないと、逃してしまう出会いが無数に存在しそうだなと思っている。だから、もっと写真を撮って、投稿して、あ、この人写真好きなんだな。ある程度撮れるな、って思ってもらえるようなフィード作りをしたい。(写真だけではない気もするけれど。)

あー、結構最初に書きたかったことと内容がずれてきてる。全ての僕のNoteに共通するところだけど、誰かと会話しているような感覚で、ほぼ初稿の状態で投稿しているのでこんなことが多々あって読みづらくて申し訳ない。読み手を全く意識していないのでこうなる。

となると、最初に書きたかったこととはなんぞ。という感じだと思うが、
一服している時にふと、悍ましいほど誰もが言いそうな来年の目標みたいなものが頭の中に浮かんだ。
「加速度的な変化を拒まず適応するが、ヒトとしての根源的な喜びを大切にする。」
というなんとも抽象的であるが、自分にとっては的を得ている言葉尻だ。

最初の部分に関しては、次の一年本当にどうなるかが分からないからこそ、一つ一つの変化に対して最初にNoを突きつけないということ。もちろん取捨選択はあるにせよ、自身の成長機会を効率化し過ぎずに、もっと多感に生きると言うこと。

最後の部分に関しては、すんげー分かりやすく言うと、サウナ・焚き火・キャンプ・山登り・ランニング・料理とかの、人間的な活動を、どれだけ忙しくても忘れないことを指す。東京にいると、どうしても資本主義的な考え方にずーっと陥りがちだけれど、これが良くない。本当に。

だからこそ、その根源的な喜びの中で成長してきた僕なんだから、その機会を成長機会とか効率化とかと結びつけずに、ただ人生を豊かにしたいという素直なココロで実行したい。

うーん、大きな目標ではないな。笑
けれど、22歳の年にはちょうどいいくらいの目標なのかもしれないなあと。
どうせ変わり続けて自分が後から追いかけるような生活をするのだから。もう本当に流れに身を任せてみようと思う。就活とかはあるけれど、大学受験みたいにさっさと終わらせて羽を広げてしまおうとも思ってる。

就活に関しては、こんなに軽く言ってるけれど、めちゃくちゃに悩むんだろうなあ、、、と、鬼不安である。

ってなわけで、三度目の一人暮らし物件探しと、ロンドン生活からくる借金の返済というタスクがまた増えてしまい、心身ともに落ち着けない日々がまだまだ続きますが、自分なりにできることを一つ一つ焦らずこなして、いい息子でいられるように、京都での生活を送りたいと思います。

本読んで、寝て、食べて、ジム行って、たまに温泉に浸かって語って、たまに友達に会いに行って。そんな感じでゆるゆると、かつセカセカとした生活を過ごしたいと思います。

読んでくれた人、ありがとう。君にはなんのためにもなってません。

良いお年を。

Kenny



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