天使の抹茶ラテと悪魔の落書き㉑
【終わりの始まり】
夜12時。タクローのよそ行きだという香水の香りが充満した車で例の交差点に向かう。車内で、もうすぐ死ぬ人しかこの店は見えないという噂をアヤノさんにされた事を聞いた。
「あの店も長くやってるからねー。変な噂が出ても仕方ないよねー。え? 死ぬのかって? ばかだなぁゆうちゃんは。それじゃボクがまるで死神みたいじゃないかー」
「いや、でも変な力持ってるし……」
「言ったでしょー。リピーターが多いってー。死んだらリピーターに慣れないでしょうが」
タクローの能面のような張り付いた笑顔の言葉だったが、確かに、と思ってしまう。
「でも誰でも入れる訳じゃないって噂が出るくらいだから……目立たない場所なんだろうねーあはは」
交差点が見えてくる。そこには信号待ちをするようにトキエが待っていた。運転するタクローに車を止めて貰うと、すぐに気付いてトキエが近づいて来た。裕也は助手席の窓を開けた。
トキエの服装は地味になっていた。
どこかで見た気がすると思って思い出そうとしていたら、トキエから答えを言ってきた。
「この服あたしが死んだ時のと同じ感じの服」
「あー通りで」
地味ではあったが、元が綺麗なのでそれなりに見える。
「えっと……この車で行くの?」
トキエは運転手に視線を向ける。
「あ、紹介します。この車の持ち主です。タクローさんといいます」
「よろしくねーうわっ! すっごい美人!」
タクローの軽い言葉に顔色を変えることなくトキエは言う。
「すみません。今日はよろしくお願いします」
「いいよいいよー。名前教えてよー」
「え、あ、トキエです」
トキエが裕也を見た。言いたい事はなんとなく解るが、こういう人なのでよろしく我慢してください。と視線を返す。
「トキタンでいいよね。ちょっと! ユウちゃん!」
「え?」
「なんでユウちゃんが前に乗ってんの!?」
「早く! 出て出て!」
蹴飛ばされるように車を出た裕也はトキエに助手席に座るように促した。トキエはタクローに見えないように激しく首を振り、後部座席のドアを開ける。軽く飛び跳ねる様に身震いをしたトキエから「ヒッ」と聞こえた。そこには暗い街灯に白く浮かぶラブドールのアヤタンが女子校の制服姿で寝転がっていた。
「ああ、紹介するね。アヤタン」
トキエは何も言わないまま裕也を見る。
裕也は黙って目をそらす。
タクローは続けて『ワタシアヤタンナカヨクシテネ』と背骨が抜けるような裏声を披露する。裕也には何も出来ない。トキエは後部座席のドアを閉め、助手席へと座った。
「うふふ。わたしアヤタンとは気が合いそうにないなー」
トキエが声を絞り出すように言う。
「やったー。やっぱり美人が隣にいないとねーポルスァは」
「惜しい。ポルシェだから」
裕也は後部座席に座りながら言った。ポルシェの後部座席は少し狭かった。アヤタンの頭を膝に乗せる。アヤタンが座っていないのは、タクローが運転席のシートを目一杯後部座席へとずらしているせいだ。窮屈だと運転できないんだもんとの事だった。
「ねえ、これって昨日裕也が言ってた映画みたいだね」
トキエが後部座席の裕也に言った。
「え! なになに? それってどんな映画?」
何故かタクローが楽しそうに言う。
「言わなくていいですよ」
「えっと、裕也が今撮ってる映画なんだけどね」
「ほー。映画監督だったの? ユウちゃん」
タクローがフロントミラー越しに意地悪な視線を見せる。
「言ってませんでしたか?」
「ほーほー」
「主人公が人形を人質にして悪い人達から逃げるんだよね」
「あら、それはまあ大変な事になりそうだね」
タクローは車を発進させず話しに乗ってくる。アイドリング中のエンジン音もそこそこうるさい為、三人とも自然と声が大きくなっていた。
「あと、銃撃戦とか派手なアクションシーンとかがあって……」
「あら、まあ。それ誰がやるんだー?」
タクローが嬉しそうに言う。
「でも最後は車が崖から落ちちゃって何故か主人公の体が爆発してバラバラになって死んじゃうんだって」
「え……」
ドロドロとしたポルシェのエンジン音が車内に響く。
「それユウちゃんが自分で言ったの?」
「言ったよね裕也」
「ん? 爆発してバラバラになるって言いましたよ」
「……あ、そう……」
急に低いトーンになったタクローに不信感を覚えたが、それは急発進したポルシェの高く大きいエンジン音にかき消された。
黒い車がタクローの赤いポルシェを追う。
【終わりの始まりⅡ】
大河原組の別荘のある場所は、都会からかなり離れた山奥の、峠をいくつも越えた高台にあった。
最近買った物ではなく、先代の先代が宝くじで一等を当てた事があり、その賞金で組は大きくなり、記念に買ったこの別荘を60年近く改築しながら使っている。
その時の宝くじは今でも額縁に入って大切に保管されてあった。気になるのは、宝くじと一緒に入っている滲んだ文字が書かれてある紙切れだった。文字は読めないほど滲んでいるが、似たような紙切れを俺は知っていた。世の中にはタクローの様な力を持つ者が何人も居るのかもしれないと思う事にしていた。よもや本人ではあるい。タクローはどう見ても三十路ほどの年齢にしか見えない。
この別荘に一時期、女と一緒に住み込んでいた事がある。
愛人ではあったが、俺は心底その女に惚れていた。時恵という女だった。本人は古くさい名前だといって気に入っていなかったが、俺はこれまで知ることのなかった、心から安らいだ時間とぬくもりを教えてくれたあいつにぴったりの名前だと思っていた。
俺が隠居できるようになったら、この別荘で時恵と畑なんかを作りながら過ごしたいと話していた。
時恵には縁者といえる人間はいないらしかった。一度時恵に黙って例のホクロの便利屋に調べさせた事がある。不自然なほど経歴が残っていなかったらしく、調査にかなりの時間がかかった。費用をけちって、ちゃんとした興信所に依頼しなかったせいかもしれないが、親類などの身寄りは居ない事はわかった。
たまたま入った六本木のキャバクラで接客された時、あいつに見惚れたのがきっかけだった。だが何度も店に通った訳ではなかった。不思議な事に俺は、時恵と深い仲になると直感した。あいつもそうだったと後に言ってくれた。
俺は会ったその日のうちに店を連れだし、この別荘へ連れてきた。
ここでお前と一緒に過ごして、俺が死ぬときはお前の側で死にたいと伝えた。しばらくして、俺と時恵は簡単な荷物だけ持ってこの別荘に住み始めた。車は俺の車一台だけだったので、買い物にいくのも近くの海岸にいくのも二人一緒だった。他の女だと嫌な事も時恵となら嫌じゃなかった。むしろ楽しいと思えた。
この高台には別荘の他に、小高い丘がある。昼間なら海が見えて心地良い風が吹くそんな場所だ。その一番高い場所に俺の墓を造り、やがてお前が死んだらそこに二人だけで入るんだ。冗談めかしてではあったが、俺がそういうとあいつは喜んだ。今、この丘に造ったこの墓にはあいつの骨だけが入っている。無神論者なのに洋風の墓を希望したのは時恵だった。俺は月明かりに浮かぶ十字架へ言う。
「お前を殺した奴は消したぞ」
時恵が死ぬ日の前日。初めて時恵が愛人であることに不満を露わにした。俺は今すぐには無理だと正直に伝えた。割と長い時間口論になった。なんとか宥めたが、結婚だとかそういう形式張った物に捕らわれるような女じゃないと思っていたので、少し驚いたのを覚えている。
時折、東京へ行っては友人と会っていたようなので、時恵が焦りを感じるような、そういった話があったのかもしれないと考えた。
その日もある友人に会うとの事だったので、俺は時恵を東京まで送った。外は雪になり損ねた雨が、酷い勢いで降っていた。黙ったままの時恵を降ろした後は久しぶりの本宅へと帰った。妻との仲は元々冷え込んでいたので、何か言われるような事はなかった。
次の日、時恵は死んだ。同じ車に二度ひかれて死んだらしい。
悪意のある犯行であるにも関わらず犯人は捕まらなかった。俺は時恵を送り届けた事を悔いた。そして時恵を呼びつけた友人を憎んだ。
いや、その友人が時恵を殺したのだと思った。事故現場に時恵の手荷物や携帯等が残されていなかったからだ。つまり、直前に会った人物が処分したのだ。携帯を調べられると困る人物であるならばその友人しかいない。
俺は大金を用意し、すぐにタクローに文章を依頼した。犯人を知る事が出来る文だ。その結果、関之尾組の組員のある男だと解った。森村栄二という男だ。時恵と栄二という男がどういう関係だったかも解ったがそんな事は関係ない。時恵と同じように車で潰して殺すにはどうすればいいかを考えた。
タクローに車を贈ったのも、その車に爆弾を仕込んだのも、悪い頭で考えて出した答えだった。そして、これからの関之尾組の出方によっては、俺は関之尾組を潰す。そのためにはタクローのような存在がいてはいけなかった。
もうタクローは死んだだろうか。何度となく世話になった男だ。できれば苦しまずに一息に死んで欲しい。
タバコに火を付けた。これで四本目だ。時恵が居たら、あまり一気に吸うなと怒っていただろうなぁ。
墓の横へ腰を下ろす。日が昇ったら帰るとしよう。
そう思った時、眼下にある峠の道に車のヘッドライトが見えた。